【いま、会いたい人 vol.1 ー 北野唯我 】著書『転職の思考法』が2ヶ月で10万部突破!何かを得るには、何かを捨てなければいけない
1万部売れれば、ヒットと呼ばれるビジネス書の中で、2ヶ月にして10万部という驚異的なスピードで売れて話題となっている『転職の思考法』。著書の中にある「意味のある意思決定は必ず何かを捨てること」という言葉が印象に残った。後編では、著者である北野さん自身のキャリアや大きな決断をするときの思考のプロセスなどに迫っていく。
北野唯我:兵庫県出身。神戸大学経営学部卒。就職氷河期に博報堂へ入社し、経営企画局・経理財務局で勤務。その後、ボストンコンサルティンググループを経て、2016年ハイクラス層を対象にした人材ポータルサイトを運営するワンキャリアに参画、サイトの編集長としてコラム執筆や対談、企業現場の取材を行う。TV番組のほか、日本経済新聞、プレジデントなどのビジネス誌で「職業人生の設計」の専門家としてコメントを寄せる。
毛利優子(聞き手):大学在学時に長男を出産し、新日本有限監査法人、ITのベンチャー企業を経て独立。「女性のキャリア」や「多様な働き方」をテーマとし、書籍やメディア(AERA,東洋経済オンライン、日経DUALなど)を通じて情報を発信している。「日本における働き方の多様化」の必要性を感じ、CARRY MEにサービス立ち上げから参画。現在小学生3人と9ヶ月の4児の母。
たった1年の休みがマイナスの評価になってしまう日本
毛利:『転職の思考法』の中に出てくる「意味のある意思決定は必ず何かを捨てること。」という言葉が印象的でした。北野さんご自身が今までの人生でそういった決断をされたのはどんな時でしたか?
北野:そうですね、いっぱいあるんですけど・・・。わかりやすいところでいうと、博報堂を辞めて無職になって、海外に行ったときですね。海外に行くといっても、別に学位とか修士を取るわけではなく、語学学校や大学が提供している英語のプログラムを受けていただけだったので。
それってある意味、博報堂というブランドを捨てて、全くゼロになるという行為で、給与も当然ゼロになりました。それに、日本に戻ってきた時の再就職にはかなり苦労しました。
毛利:北野さんでも、再就職に苦労されたんですか!? ビックリです。
北野:すごい苦労しましたよ。日系企業だと、学士とかMBAを取っていれば別ですけど、1年半くらいのブランクがあると、エントリーシートの時点で落とされまくるので。
その時、これはおかしいよなと思って。もし1年や1年半の休みがビジネスパーソンとしてマイナスであれば、それこそ産休・育休をとる女性もそうだし、留年や浪人もキャリアにとってマイナスだと評価しているってことじゃないですか。
でも実際には、その1年とか1年半の期間の中で自分の経験の幅を広げて、人間としてレベルアップして帰って来た人もいっぱい見てきたので。そういった疑問もこの本を書く一つのきっかけになっていますね。
毛利:確かに、そういった経験を積んだ方は、人間的に魅力溢れる方が多いですよね。博報堂のあとは、結果的にBCG(ボストン・コンサルティング・グループ)に就職されていますね。
北野:そうですね。経営企画とか経理財務をやっていたので、比較的自分のキャリアに似ているコンサルティングファームを中心に受けて、運よく一番に入りたかったBCGに入れてもらえたんです。
ブランクを抱えての再就職の場合、選択肢は3つしかなくて。「実力で見てくれる外資か」「人の足りないスタートアップか」「自分のツテのある会社か」。
でも結局そのBCGも1年も経たずに辞めて、当時5人くらいだったベンチャーに入りました。この時も給与は半分になったので、はたから見たら「得たものを捨てまくっていた20代」に見えたと思います。
大きなブランドを捨てて転職をした理由
毛利:確かに捨てまくっていますね(笑)博報堂やBCGという大きなブランドを捨てて転職をした理由はどうしてですか?
北野:最終的に国家戦略の本を書きたいという夢があって、そのために「経験」を取りに行ったっていうロジカルな側面が大きいですね。
毛利:国家戦略!そのお話は初めて伺いました。
北野:あともう一つは、自分の心が殺されて行く感覚があって。このまま10年、20年そこで生きて行くことに想像が全然できなかったんです。
博報堂の最後の方でほんのちょっとだけ営業をやらせてもらったんですけど、広告の仕事って、最後の方は「ここはもうちょっとこっち」「この入稿を今日の24時までにやらないといけない」みたいな1mm単位の細かい仕事に入っていく。
その1mmが重要な仕事もあると思うんです。例えば、AppleやNIKEのように、世界観がしっかりあるブランドとか。
でも日本のほとんどの広告の場合、この1mmよりも他にもっとやるべきことがあるなと僕は思ってしまって。その1mmのためにこれから何十年という時間を使うのは嫌だなって思った。
毛利:その感覚は、企業に勤められている多くの方が共感されると思います。
北野:あとは結局、自分の生きたいように生きるということと、会社でやらなければいけないことってすごく乖離がありますよね。
今でも覚えているんですが、入社3年目で帰りの千代田線の地下鉄に乗っている時に、なんかよくわからないけど涙がポロって出てきて。本の中にも書いてありますが、自分の心に嘘をついたら、いつか自分自身にも大きな嘘をつくようになるだろうなと思って辞めることを決断しました。
毛利:すごくわかります。私も1社目を辞める時まさに同じような感覚でした。そして博報堂を辞めて、海外に行くことを決心されたんですね。そのまま転職活動をせずに、海外に行こうと思ったのはどうしてですか?
北野:先ほどお話しした1mmの部分よりもやるべきことがあるって思った時に、もっと上流から企業に価値を提供できるコンサルティングファームはアリだろうなと思っていたんです。
その時に選択肢が二つあって、そのまま転職するか、もしくはせっかく辞めるのであれば、自分のやりたいこととか、本当に心からワクワクすることに挑戦してみるか。僕は後者を選んだわけです。
実は当時、英語が全く喋れなかったんですよ。どれくらい喋れなかったかと言うと、博報堂に入った時に同期100人くらいいて、みんなTOEICの平均が600-700点くらいで、その中に、遊びまくってアホって言われている2人がいたんですけど、二人は足して700点くらい。僕はそのときTOEIC300点くらいだったので二人にも負けていたわけです(笑)
「唯我めっちゃ英語できそうだよね、点数どうだったの?」って聞かれてたんですが、僕はそもそも高校もあんまり行っていなかったので。でも、今このタイミングで英語に対して本気で向き合わないと、1ピースを欠けたまま生きていかなければいけなくなると思って、決断したんです。
それで3ヶ月くらい死ぬほど勉強したら上手くしゃべれるようになってきて、半年後に帰国した際にはTOEICほぼ満点(960点)取ることができたんですよね。
長い視点で本当に価値のあるものは何か
毛利:北野さんの今後についてもお伺いさせてください。今回の本をきっかけに「職業設計の専門家」として一つのポジションができあがったと思うのですが、今後は先ほどお話に出たような国家戦略などの分野で活動されるイメージでしょうか。
北野:そうですね、国の経営、国の戦略といったものにアプローチできればいいなと思ってます。
今の日本ののびしろの一つは、本物の資本主義者がいない、ことだと思っていて。そして本物の資本主義者がいないというのは、つまり本物の思考家がいないということだと僕は思っているんです。
今って、「資本主義と共産主義の対立」よりも、どちらかというと「物事を短期で見るか、長期で見るか」という軸の方がずっと重要なアジェンダになってきていますよね。
例えば、資本主義の中でも短期的な思想の人は、刹那主義みたいになるじゃないですか。一方で共産主義の中でも短期的な視点の人は事なかれ主義みたいになっていると思っていて、どちらも良くないですよね。
それよりももっと重要なのは長期の視点で物事を考えて、本当に20年後、30年後に世の中や日本にとって良くなることを意思決定をできるか。そういう人が生まれたら日本はもう少しよくなると思っています。
わかりやすい例でいうと、渋谷の街の開発がそうだと思うんですけど、短期的な資本主義の人ってすごい高いビル建てるじゃないですか。
一面積あたりのテナントが多くて、短期的にみるとROIが高いので。でももっと長期な視点で物事を考えると、それこそ凱旋門みたいなものを作った方が本当は人がたくさん来るわけですよね。
毛利:すごくわかりやすい例ですね。
北野:だけど、凱旋門のような意思決定って正直今できないじゃないですか。では、なぜ、そういった本物の資本主義者がいないかというと、本物の思想家が少ないからなんですよね。
思想に影響を与えられるレベルの経営思想家が日本から出ていない。本もそうだと思うのですが、短期的な視点ばかりであれやれ、これやれというものは溢れているけれど、長い視点で本当に価値のあるものは何かを論じる人がいない、僕はそれになりたいと思っているんです。
毛利:長い視点で本当に価値のあるものは何かを論じる人、まさに北野さんにピッタリですね。そういったご自身のキャリアを描くときにこれまでに参考としてきた方はいらっしゃいますか?
北野:そうですね、ベンチマークとしていたのは、おこがましいですが、大前研一さんで。国家戦略というものにおいては彼が一番近い存在だと思うんですけど、中国の省庁のコンサルティングを個人で受けたり、東南アジアの国のアドバイザーをやられていたりするので。
彼って元々は全然有名じゃなくて、何で有名になったかというと『企業参謀』という本なんですね。『企業参謀』って32歳頃に出していて、ベストセラーになっているんですよ。
毛利:『企業参謀』ってそんな若いときに出版された本だったんですね!
北野:そうなんです。他にも、村上龍さんの『愛と幻想のファシズム』も35歳前後で出版しているし、少なくともそのスピード感で行かないといけないと思っていて、32歳までにベストセラーを出したいというはすごくありました。
人生は自分のことを好きになっていくプロセス
毛利:北野さんは常に物事を長期的に、俯瞰して見ていらっしゃいますよね。そういった思考は小さい頃からですか?
北野:そうですね、こういう思考は昔からで、中学生、高校生くらいからですね。僕が小さい頃から、人生は自分のことを好きになっていくプロセスだと思っていて。
毛利:人生は自分のことを好きになっていくプロセス…素敵な表現ですね。
北野:小さい頃って何にもできないじゃないですか。例えば、ご飯を一人で食べることも、簡単な計算も、伝えたいことも伝えられない。すごく乾いた言い方で言うと、そういったできないことをちょっとずつ訓練して目標を立てて、頑張ってそれをできるようにしていくわけです。
それこそ中学の時、僕は自分のことをザコだと気付いてしまった。「あ! 俺ってなにもできないじゃん!」と。だって日本で一番できることが何一つない。
99.9%の人間はそうだと思うんですけど、だからこそ自分を好きになっていくための材料を整えていくことが大切だと思うんです。
毛利:人との比較ではなく、自分自身の過程や成長にフォーカスしている点にとても共感します。具体的にどんなことをやられたんですか。
北野:大学に入って何をやろうかなと思った時に、あえて「自分が一番苦手なもの」を選択しました。僕は高校時代、既に社会起業みたいなことをしていて、高校生の割には成果を出していました。なので、「この領域をずっと続ければ、日本一にはなれるだろう」と思っていました。
一方で、音楽の才能が全くなくてずっとコンプレックスでした。最初「ド」の音を発声してって言われて「ソ」の音を出しちゃうみたいな。反対の音をだしちゃって、まぁある意味ハモってるんですけど(笑)
それくらい音感もリズム感もなくて。でもそれが良いと僕は思っていたんです。これだけ自分が苦手だと思っていてセンスがないと思っているものをもし大学の期間をかけて克服できるようになったら、絶対これからの自分の人生においてプラスになるだろうって。
だから毎朝、1時間半くらい早く起きて、鍵盤でドレドミドファドソって音階を自分の中でアウトプットするっていうのと、メトロノームに対して裏打ちの練習をするっていうクソ地味なタスクをやってたんですけど(笑)
それを1年半くらいほぼ毎日休まずやり続けて、それでも全然上手くならなくて。泣きたくなる日々が続きました。
でも2年間くらい続けていたら、ある時急にレベルが上がって、当時ギターをやっていたんですが、自分のやりたい演奏をできるようになったんです。
そのとき、自分のコンプレックスみたいなものの一つが努力によって解決されたことによって、ちょっとだけ自分を好きになれたと思えたんですよね。つまり、人生ってのは「自分のことを好きになっていくプロセス」なんですよ。
『転職の思考法』の何が良いかというと、普通の人に向けて書かれているんです。コンプレックスを抱えていたり、自分はなんでこんなこともできないだろう?そういった気持ちに寄り添って書かれているから共感してもらえるんだと思います。
自分の名前の載った仕事を世の中に残していけるか
毛利:今回の本のタイトルは、『転職の思考法』ですが、転職という枠にとらわれず、それこそ「自分の名前で生きていく」といった本質的なキャリアのエッセンスがたくさん詰まっていて、CARRY MEの登録者のようにフリーやパラレルキャリアで働きたいと考える方にとってもすごく参考になる内容だと感じました。フリーランスや起業家という視点で、キャリアのアドバイスを加えるとしたらどんなことがありますか?
北野:マーケティングやブランディングの話だと思いますね。フリーランスの人にとって重要な要素は人的資産みたいなものじゃないですか。
佐藤可士和さんとかが一番わかりやすい例だと思うんですけど、彼も実質フリーランスみたいだけれど、みんな知っていて、バリューがすごく高い。
それっていかに、自分のトラックレコードというか、自分の名前の載った仕事を世の中に残していけるかということだと思うんです。
例えば、記事を受注した時も、記事を受注して納品して終わりというだけだと自分のトラックレコードが残らないですよね。
そのためには、記事の下に自分の名前を載せてもらうとか、そういう小さな積み重ねがすごく重要なるけれど、結構意識されていないことが多いように思います。
毛利:おっしゃる通りですね。一般的には自分のキャリアや実績を履歴書や職務経歴書にまとめるだけで終わっているケースがほとんどだと思います。
北野:そうですよね、レジュメで自分で持つのももちろんですが、それをオープンにした方が結果的に良いことが多いと思うんですよね。例えば、僕が良いライターを誰かに紹介するってなった時に、何もないと説明コストがかかる。
だけど、ネット上の記名記事があれば、それを転送すればいいだけですから。インタビューを受けるのはすぐには難しいと思いますけど、ブログやホームページなら自分ですぐにできますよね。
毛利:『説明コスト』というのは個人の名前で仕事を獲得する際にすごく重要な視点ですね。
実際にCARRY MEで新しい仕事を獲得して活躍しているプロの方達は、「企業のどんな課題を自分はどのような手段・方法で解決できるのか」を伝えるために、自分の経歴や実績をわかりやすくまとめた資料やホームページを用意されています。SNSはツールとしてどのように位置づけしていらっしゃいますか。
北野:情報にはいわゆるストックとフローがありますが、フローよりも絶対最初にストックをまず作った方が良いので。SNSよりもブログなどのWebの方が良いと思いますね。
毛利:なるほど。まずは自身の経歴や実績をブログやWebにまとめて、SNSなどで発信・拡散するようなイメージですね。ちなみに、北野さんが「KEN」というペンネームから本名に変えた理由は何だったんですか?
北野:本当に世の中に価値を残すのであれば、偽名でやっていても先がないなと思ったっていう話なんですけど。よくこうやって例えるんです。匿名で活動することは引き出すことのできない銀行に貯金を預けるものだって。
国家戦略や国の中枢に携わっていきたいと考えたときに「KEN」ではなく、「北野唯我」で戦ってかなければいけないと思ったんです。元々は、自分の名前を出すのはめちゃくちゃ嫌だったんですが、そのとき、覚悟を決めました。
毛利:確かに、国家の中枢に関わる時にKENだと違和感がありますものね。でも、その潔さはすごいです。一方、企業に勤めていて、自分の名前で発信することも迷いがあるという声も良く聞きます。そのような方も含めて最後読者のみなさんにアドバイスをお願いします。
北野:そうですね。その例でいうと、ある官僚の方がいて、メディアにたくさん出てるんですよね。「国家公務員なのにどうしてそんなにメディア出れるんですか」ってその方に聞いたところ、「許可をとっていません、先に出てます、そうしたら良いことしかないですよ!」って仰ってました。
世の中で認知されると、周りからはあの人はすごい人と一目置かれて、社内でも上手くいくことが多い。国家公務員の知名度も上がって、その仕事の面白さも伝わるので、結局会社にとってもプラスなんですよね。国家公務員ですらそうなので。出て怒られることもあるかもしれないけれど、何かを得るためには、何かを捨てないといけないというシンプルな法則ですよね。
でも、間違いなく、これからの時代は会社ではなく、個人の時代で、誰しもが転職をしなければいけない時代になっている。勇気を持って自分の名前を世に出して欲しいですね。
毛利:ありがとうございました。ものすごく楽しい90分でした。
(撮影:我妻柊哉)
──前編(2ヶ月で10万部突破!「転職の思考法」マーケティングの裏側)を読む
企業・採用担当者の
みなさまへ
CARRY MEでは、年収600-1000万円レベルのプロ人材を
「正社員採用よりもコストを圧倒的に抑えながら」
「必要な時に、必要なボリュームで(出社もOK!)」
「最短1週間の採用期間で」
ご紹介いたします。