【パラレルキャリアアドバイザーインタビュー/布井あやみ】パラレルキャリア実践者が語る、安定した収入を得ながら好きなことを仕事にする方法
「好きなことを仕事にしたいけどどうしたらいいか分からない」「好きなことを仕事にしたけど稼げない」と悩んでいるフリーランスの方は多いのではないでしょうか。
そんな悩みを抱えたフリーランスから、圧倒的な支持を受けている女性が、CARRYMEパラレルキャリアアドバイザーの布井 あやみ(ぬのい・あやみ)さん。
彼女自身も、「キャリアコンサルタント×タヒチアンダンサー×講師」という唯一無二のキャリアを築いてきたパラレルキャリア実践者です。パソナキャリアやリクルートキャリアでHRコンサルタントとして活躍していた布井さんが、パラレルキャリアに踏み出した理由や、これまでの軌跡を伺いました。
- 布井 あやみ(ぬのい・あやみ)
- CARRY MEのパラレルキャリアアドバイザー・法人営業担当。
キャリアコンサルタント、タヒチアンダンサー、講師という複数の仕事を持つパラレルキャリア実践者。
株式会社パソナキャリア、株式会社リクルートエージェント(現株式会社リクルートキャリア)等大手人材紹介会社での法人営業経験を通じて培ったビジネススキルと、全日本ジュニア新体操選手権大会団体入賞経験をはじめとする舞踊歴17年のキャリアを活かした独特の表現力を併せ持つ存在として各方面から注目を集めている。
全日本ジュニア入賞歴多数の新体操クラブチームに所属し、ひたすら学校とレッスンを往復する日々
ー布井さんの、「キャリアアドバイザー×タヒチアンダンサー×講師」というパラレルキャリアがどのように築かれていったのか伺っていきます。ダンスはどのくらいやられているんですか?
母親が勧めてくれたことがきっかけで、3歳から17歳までダンス漬けの日々を送っていました。
全日本ジュニア入賞歴多数の新体操クラブチームに所属していて、ひたすら学校とレッスンを往復する生活を送っていました。厳しい体育会系チームで大変なことも多かったですが、母親が期待してくれていることをよく分かっていたので応えたい気持ちがありましたし、なにより踊ることが好きでした。
学校も大好きだったので次第に学校と新体操の両立がきつくなり、学校に軸足を置くべく14歳で辞めましたが、やっぱり私は踊ることが大好きだったので、高校進学時は、ダンス部がオールジャパンに出場するような強豪校を選びました。結局高校生もダンス漬けの日々でしたね(笑)。
ありのままの自分で活躍できる職業・企業に出会うことの重要性
ーダンス漬けの幼少期を過ごされた布井さんが、新卒で人材紹介会社に入社されていますが、どんな大学生活を過ごされたのでしょうか?
大学入学のために上京したタイミングで、ダンスから一度離れました。大学の勉強に励みながら、一人暮らしだったのでアルバイトにも専念したんです。
アルバイトは、スチールモデルから塾の講師まで、様々な職種を経験しました。どのお仕事も楽しかったですが、塾の講師と家庭教師が特に楽しく、成果も出ました。私にとってアルバイトの経験は、「素の自分に合った仕事、環境を見つけられるかどうかでパフォーマンスが大きく変わる」ということを教えてくれたと感じています。
そしてこの経験は、「偽った自分で内定をもらっても仕事は続かないから、ありのままの自分で就職活動に臨もう」という就職活動における軸を作ってくれました。求められているであろう回答を用意するのではなく、素の自分のまま本音を伝えるようにしたんです。
結果的に、教育関係や人材業界から多く内定をいただき、「やっぱり私はこの業界が合っているんだ」と確信。「幸せな人生、キャリアを歩むきっかけとなる適職を提供したい」という志と一致した、パソナキャリア(人材紹介会社)に法人営業(採用コンサルタント)として入社しました。
過労で倒れるくらいがむしゃらに働いた採用コンサルタント時代
ー実際に採用コンサルタントとして働いてみて、いかがでしたか?
自分の仕事の出来なさに自己嫌悪に陥りました。私はITのマーケットに配属されたのですが、ITがとっても苦手で。先輩やクライアントの話している内容がさっぱり分からず、苦労しました。もちろん理解できるよう勉強はするのですが、苦手なことなのでなかなか頭に入ってこなくて学習効率も悪く・・・。
それでも負けず嫌いな私は、「仕事がデキない自分」が許せず、躍起になって仕事をしました。結果、入社1年目の秋に倒れ、救急車で運ばれる事態に。
倒れたあとは、お休みをいただき実家で療養していました。すると、パソナキャリアの社長が、わざわざ愛知の実家まで訪ねて来てくださいました。私が不器用ゆえに無理をしてしまっただけなのに、「無理をしてまで頑張っていることに気付いてあげられなくて申し訳なかった」と謝ってくださったんです。本当に、人を大切にするハートフルな会社でしたね。
すっかり疲れてしまっていた私は「このまま地元に帰ろうかな・・・」と考えていましたが、母親が「素敵な会社に入社できたのだから、逃げずにもう少し頑張りなさい」と言ってくれたこともあり、復帰。復帰後は、入社前から興味を持っていたコンシューマーのマーケットを担当させていただき、充実した日々を過ごしました。「辞めたい」という私に「頑張りなさい」という母に対して当時は「鬼だ」と思いましたけど(笑)、今振り返ると本当に続けてよかったと思っています。母にも会社にも感謝ですね。
ーそうだったんですね。布井さんはその後リクルートキャリアに転職されていますが、それはなぜですか?
先輩やクライアントのおかげで、採用コンサルタントとして成果が出せるようになってきた頃、「さらに大きなステージにチャレンジしたい」と考えるようになりました。
リクルートキャリアを選んだ理由は、尊敬している先輩がリクルートキャリアに転職していたことと、業界トップの会社だったので「ここで成長を加速させたい」と感じたからです。
みんな本当に仕事ができたし目標数字も高いので自信を失いそうになったこともありましたが、「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」という当時の社訓にとても共感していたので頑張れました。他責にすることなく、それぞれがプロとして自立しているカルチャーは、今でも自分のコアになっています。
転機が訪れたのは、2009年のリーマンショックです。景気が悪くなったことにより、私が所属していたとある事業部が消滅してしまいました。ちょうど結婚が決まったタイミングでもあったので、早期退職制度を利用してリクルートキャリアを退職しました。
生死の境で気付いた夢「ソロで踊ってから死にたい」
ーリクルートキャリアを退職後、パラレルキャリアをスタートさせていますが、きっかけはありますか?
退職後は、5年間医療事務としてパートをしながら、主婦業に専念していました。
そして、最後の2年間は不妊治療を受けていました。医療現場で働いていたので、そういったことにもとても理解があって、とても恵まれた環境でしたね。ですが、期待を込めて臨んだ体外受精に失敗してしまったんです。これは辛かったですね。正直、人生を諦めたくなりました。
ですが「死」を意識したとき、「どうせ死ぬなら、その前にソロで踊りたいな」という想いが湧いてきました。これが、私がパラレルキャリアをスタートさせたきっかけです。
「生きるか死ぬか」という境地に立つと、それまで葛藤していた「自信が無い」とか「新しいことにチャレンジして、周りから変な人って思われたくない」といった不安は簡単に乗り越えられました。人生のどん底にいたのでレバレッジがきいちゃって、「変な人と思われても結構!後悔のない人生を生きるぞ!」と夢を叶えるために動き出しました。
「唯一無二のキャリアを築きたい」パラレルキャリアのスタート
ー辛い経験と向き合ったからこそ、本当の夢に気付けたんですね。ダンサーだけではなく、HRコンサルタントとしても活動しようと考えたのはどうしてですか?
「ダンサー」という肩書きだけでやっていくのではなく、差別化できるキャリアを築こうと考えたからです。時短で勤務可能な人材紹介会社を探し、キャリアアドバイザーをしながらダンサーやダンス講師として活動していました。
ー現在はCARRY MEのパラレルキャリアアドバイザーとしても活躍されていますが、出会いのきっかけはなんですか?
上記の仕事と並行して、CARRY MEの母体でもある教える人と学ぶ人を結ぶマッチングサービス「shAIR」でセミナーを開催していました。私のように「やりたいことがあるけどどうやって仕事にすればいいのか分からない」「好きなことを仕事にしたいけど、とてもそれだけでは食べていけない」と悩んでいる人に対して「こんな働き方もあるんだよ」と伝えたいという想いからです。
その時、大澤さんから「スキルのある個人(セミナーに参加しているフリーランスや、子育て中のキャリアウーマン、起業家など)と企業を週1〜4回出社など柔軟な働き方で企業とマッチングする事業を立ち上げようと思っている」と聞き、「是非お手伝いさせて下さい!」と言って参画させていただきました。
現在は、キャリアアドバイザーの他に、これまでのHRコンサルタント、営業としてのキャリアを活かして、法人営業や、企業面談の同行、他のキャリアアドバイザーの方への研修講師も担当しています。
アドバイザー自らパラレルキャリアを実践しているのが強み。人生ごと何でも相談してほしい
ーCARRY MEのパラレルキャリアアドバイザーとしてお仕事する中で、忘れられないお仕事はありますか?
本当にたくさんあるので難しいですが・・・。現在CARRY MEのメンバーとしても活躍してくださっている上林さんという女性が「CARRYMEと、布井さんと出会えたおかげで人生が変わった」と言ってくださったことはとても嬉しかったです。
その女性は、ご夫婦でシェアハウスを運営していて、「シェアハウス事業をしながら、収入を安定させるために週3くらいでバックオフィス系の仕事がしたい」とCARRY MEに登録してくださいました。
ですが、お話を聞くと、シェアハウス事業を始める前までは営業の仕事をされていて、関連会社で表彰されるほど活躍されていたとのこと。話している表情を見ても営業という仕事が大好きな方なんだなと感じられたので、「営業のお仕事に興味はありませんか?」と伺ったところ、「一度派遣というキャリアを挟んでしまったがために、営業の仕事に応募すること自体諦めていた」とのことでした。
CARRY MEは、職務経歴書に書いてある会社名や雇用形態から登録者を判断するのではなく、雇用形態はなんであれ、「どんなスキルを持っていて、そのスキルを使ってどういうケースの問題解決ができるのか」ということをいろんな観点から伺っていきます。そして、その強みが最適な表現で企業に伝わるよう企業面談へも同行してしっかりサポートするので、「上林さんも営業として絶対に活躍できる」という確信がありました。
「上林さんなら絶対に営業として活躍できると思います」とお伝えすると、「本当ですか?でしたら、もう一度営業にチャレンジしたいです」と仰ったので、営業としていくつか案件をご紹介させていただきました。結果すぐに案件が決まり、現在は法人営業のお仕事をされています。ちなみに、現在はCARRY MEのメンバーとしても一緒に働いてもいるんですよ。「布井さんのおかげで、人生が変わりました。ありがとうございます!」と言っていただけたときはとても嬉しかったですね。同じフリーランスの人間として、フリーで頑張っている方々の力になれることにとても喜びを感じます。
ー確かに、同じ立場であるフリーランスにアドバイザーを担当してもらえるのは心強いですね。最後に、CARRY MEの利用を検討しているフリーランスの方に向けてメッセージはありますか?
私自身、日々苦悩しながら発展途上のフリーランスです。大変なこと、譲れないもの、フリーランスだからこその喜びなど、同じ目線に立ってお話できるかと思います。
「好きなことを仕事にしたいけど、どうしたらいいのか分からない」「好きなことを仕事にしたけど収入が安定せずに困っている」という方は相談に来てもらいたいです。ぜひあなたのポリシーや、本当に実現したいことを聞かせてください。パラレルキャリアの実践者として、安定した収入を得ながら、好きなことを仕事として続けるサポートをさせていただきます。
私は登録者の方から人生相談もよくしていただくのですが(笑)、社会人としても、女性としてもいろいろな経験をしてきたので、「こんなこと相談して良いのかな」なんて悩まずに、なんでも相談して下さいね。その夢の実現に向けて、全力でサポートさせていただきます。
この記事を書いた人
- 小野瀬 わかな
- ライター
1992年生まれ。茨城県出身。大学卒業後、株式会社ウィルフォワードに入社。クリエイター兼経理担当として、企業の採用コンサルティングに付随するクリエイティブを担う。主に大手美容クリニックや自動車会社のオウンドメディアのコンテンツ制作、運用を担当。これまでに担当したインタビュー記事は150本を超える。2018年4月にライターとして独立。採用や次世代の働き方を中心に、取材、ライティング、撮影を行っており、その人ならではのストーリーや経験を通して、生き方や働き方、在り方のヒントを発信するべく活動中。
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