キャリーミーでプロとしてのキャリアが広がる

ホーム > キャリーミー創業ストーリー > 10章 信頼の輪、さらなる挑戦 トヨタとの契約と未来への布石


大澤亮
1972年、愛知県生まれ。早稲田大学時代に両親から留学に反対され、自腹で米国に留学(カリフォルニア州立大学サンバーナーディーノ校→ U.C.バークレー)
2009年、株式会社Piece to Peaceを創業し代表取締役に就任。2016年、プロ人材による課題解決事業“CARRY ME(キャリーミー)“を創業。
戦友が去った後のオフィスは、どこか静かすぎた。 彼女が担っていた役割の大きさ、何よりもその存在の大きさを私は改めて痛感していた。
だが、感傷に浸っている時間はなかった。むしろ一人立った今だからこそ、証明しなければならないことがある。この組織で、私自身のリーダーシップで、キャリーミーはさらに高く飛べるのだと。そのためには、圧倒的な成果が必要だった。これまでの苦難すべてが未来への布石だったと誰もが納得するような、象徴的な1勝が。
そんな折、その出会いはまるで必然であるかのように訪れた。
そう思い定めた矢先、運命のような出会いが訪れた。
都内で開かれた完全審査制の経営者会。華やかな雰囲気の中、私はたまたま隣の席に座った物腰柔らかな男性と名刺交換した。そこに記された社名を見た瞬間、息が詰まる。
――トヨタ自動車株式会社。部長。
誰もが知る巨大企業、その中枢にいる人物だった。
「プロ人材ですか。面白いコンセプトですね。ちょうど、トヨタでも進めている重要プロジェクトで、『外注するほどでもない、でも社員は手一杯』というものもあります」
私の拙い説明に、彼は真摯に耳を傾けてくれた。その場は社交辞令で終わるかと思われたが、やり取りを続けていると1つの連絡があった。
「先日のお話、大変興味深く聞かせていただきました。つきましては一度詳しいお話を伺いたいのですが……名古屋までお越しいただけますか。レースのプロジェクトに関する話なので、サーキットでぜひお会いできればと」
このやりとりに、私は一瞬言葉を失った。サーキット?契約どころか提案すらまとまっていない段階で社長が名古屋まで足を運ぶ。交通費はともかく、サーキットへの見学だけに半日を社長が時間を使う。それはスタートアップにとって決して軽い負担ではない。だが同時に、これは私たちの「本気度」を試されているのだと直感した。
「ええ、喜んで。準備を整え次第、すぐに名古屋に伺います」
そう答えた声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。
新幹線の車窓に流れる景色を眺めながら、私は隣に座る佐藤さん(仮名)の横顔を見つめていた。元博報堂のベテランマーケターで、今回のプロジェクトに最もふさわしいと確信して同行をお願いしたプロ人材だ。もちろん交通費も日当もすべてキャリーミーが負担する。契約が取れる保証はどこにもない。だが、この挑戦にはそれだけの価値があると信じていた。
約束の地であるサーキットは爆音とオイルの匂い、熱気に満ちていた。観客の歓声に混じり、私の胸の鼓動も大きく跳ねていた。正直に言えば、レースそのものにそこまでの興味があったわけではない。余談だが、私の生まれた土地はちょうど愛知県であり、かつ「挑戦を否定し続けた」父親は若い時はラリーの選手をしていたほどの車やラリー好き、そんなご縁も感じていた。
彼らが何に情熱を注ぎ、何を成し遂げようとしているのか。その核心を理解しなければ、パートナーとしての資格はない。轟音にかき消されそうになりながら、私は必死にプロジェクトの本質を掴もうとしていた。
レースが終わり、私たちは会議室に案内された。そこに現れたのはこの前の柔らかな表情とは打って変わり、トヨタの部長としての鋭い眼差しを宿した彼だった。
「さて、大澤さん。我々のプロジェクトに対し、あなたの言う『プロ人材』はどのように貢献できるとお考えですか?」
その問いは、単なる提案依頼ではなかった。会長肝いりのプロジェクトを任せるに値するか、私たちの存在意義そのものを試す言葉だった。
私の説明が終わると、彼は腕を組んだまま、しばし沈黙した。重い時間が流れ、会議室の空気が張り詰める。やがて彼は静かに口を開いた。
「……非常に興味深い。社内で検討させてください」
手応えはあった。だが、巨大企業の扉を開く本当の闘いはこれからだった。
名古屋でのプレゼンから一週間、1ヶ月が過ぎても先方から明確な返答はなかった。期待はやがて焦りへと変わり、ようやく届いた連絡は全く異なる法務や調達部門からの膨大な質問リストだった。
「プロ人材の稼働実態について」
「指揮命令系統の明確化について」
「『偽装請負』と見なされるリスクについて」
日本の大企業が最も神経を尖らせるコンプライアンスの壁。正社員でも派遣でもない「プロ人材」という新しい働き方が、彼らの厳格なルールブックには存在しなかったのだ。「プロ人材」の前に立ちはだかった新たな壁である。
週に何度も開かれるオンライン会議。画面越しに並ぶ担当者たちの硬い表情。私はデータを示し、事例を引き、契約書の条文を一つひとつ確認しながら説明を繰り返した。まるで巨大な城壁の石を、手で一つずつ外していくような作業だった。私に法律の深い知見はなく、弊社の法務のプロ人材(弁護士資格も保有)には毎週のようにトヨタプロジェクトのために手伝っていただいた。
「この案件、本当に進んでいるのか……?」
社内のメンバーからも不安の声が漏れる。私自身、心が折れそうになる瞬間は一度や二度ではなかった。だがその度に、愛知県のサーキットでの熱気と部長の真剣な眼差しを思い出した。あの視線を裏切るわけにはいかなかった。
吉報が訪れたのは半年が過ぎた頃、電話が鳴る。
「大澤さん、長らくお待たせしました。ようやく社内での承認が下りました」
受話器の向こうから聞こえる声は、穏やかでありながら確信に満ちていた。
「今回のプロジェクトは会長肝いりの案件で、絶対に失敗が許されない。だからこそ、これだけ時間をかけて慎重に判断させていただきました。最終的な決め手は、御社が9年間積み上げてこられた『審査』の実績です。その信頼性に、我々は賭けることにしました。また、プロ人材だけじゃなく、御社にもコミットしてもらえると信じています」
――信頼。
その一言がこれまでの苦労をすべて吹き飛ばしてくれた。半年間という時間は単なる停滞ではなかった。トヨタという巨大企業がキャリーミーというスタートアップの「信頼性」をあらゆる角度から検証するために必要な時間だったのだ。
また、部長からのコメントの通り、プロ人材だけでなく、キャリーミー(株式会社Piece to Peace)としても当然ながら成果にコミットすることが求められたし、会社としても相当コミットしている。実際、2025年10月現在も、常にこのプロジェクトのことが頭から離れない。
超大手企業との契約に要した半年間という期間。後日、別の経営者から「トヨタ相手に半年で契約とは、むしろ異例の速さだよ」と聞かされた時、私はあの長く感じた日々の本当の意味を理解した。 私たちはただ待っていたのではない。巨大な壁と対峙し、その信頼を確かに勝ち取ったのだ。
契約成立の知らせを全社ミーティングで共有すると、画面の向こうでもオフィスでも大きな拍手と歓声が湧き起こった。ガッツポーズをする者、静かに涙を浮かべる者。私はその光景を万感の思いで見つめていた。
私はその光景を、万感の思いで見つめていた。脳裏に浮かぶのはかつての光景だ。正社員とプロ人材が互いに疑心暗鬼になり、オフィスに重い空気が漂っていた日々。期待をかけたエースが会社を去り、組織が空中分解しかねないほどの痛みを味わった夜。あの頃の不安と葛藤を乗り越え、今ここにいるメンバーたちの笑顔は何よりも雄弁に私たちの成長を物語っていた。
その勲章は瞬く間に外の世界へ波及していった。
「トヨタさんの件、伺いました。ぜひ我々も具体的に話を進めたい」
大手企業の担当者たちの口調は、それまでの曖昧なものから一変した。トヨタという存在が、キャリーミーの「信頼性」を雄弁に証明してくれていた。freeeやマネーフォワードなどの新興の大手IT企業だけでなく、いわゆる大手企業の日本テレビ、電通、シャープ、NTTグループ、そして私の古巣・三菱商事(※取引先はグループ会社)。
二十年以上の時を経て、私は再び、何とか背伸びした状態であればビジネスの話をできる立場にはなれた。運命の巡り合わせを強く感じずにはいられなかった。トヨタとの契約はゴールではなかった。新たなスタートラインだったのだ。
実際、こうした数々の大手企業との取引は、予想以上の好循環を生んだ。
つまり、「9年間の審査済のプロ人材」で大手企業の取引先が増えると、まず更に優秀なプロ人材の登録が増える(大手企業だと予算がある、信頼できる、面白いプロジェクトも多いなどの理由)。優秀なプロが増えると、更に大手企業含め法人取引先が増え、評判につながる、という好循環だ。
ちなみに、大手企業本体では新規事業でプロ人材を活用されることが多く、子会社だと採用のプロを活用されることが多い傾向がある。
大手企業はもともと新卒一括採用からの育成が習慣となっているが、新規事業は「既存のビジネスではない新規の領域」なため、その新規の領域に知見が薄いこと、また事業の立ち上げ方がわからない会社も多いことが主な要因だ。
また、子会社で採用のプロが活躍することが多いのは、大手本体だと知名度・ブランドもあり、優秀人材の確保にそれほど悩まない、が、グループ会社となったとたんに知名度も下がり、また年収レンジも下がる傾向にあることから、採用に苦戦する傾向があるからだ。(いくつもそうした話を直接社長や人事から聞いている)
ある夜、一人オフィスに残り、窓の外に広がる東京の夜景を眺めながら思った。
――この信頼を翼に、どこまで飛べるのだろうか。
私の胸にあったのは、二つの新しい挑戦の種だった。
一つは日本企業の海外進出支援。かつてアフリカ・タンザニアで感じたもどかしさを、今なら解決できるかもしれない。もう一つはプロ人材のコミュニティ構想。AI時代だからこそ、人と人との繋がりに価値が宿る。挑戦者たちが集い、新たなビジネスを生み出す場を作れないだろうか。
トヨタとの契約はゴールではない。それは私たちが本当に成し遂げたい未来への扉を開く、一枚の鍵に過ぎなかったのだ。窓に映る自分の顔は、かつてアメリカから帰国したあの日の青年とは違って見えた。不安や反骨心ではなく、静かな使命感がそこにはあった。
挑戦できる人、挑戦できる会社を増やす。 そのビジョンを今度は日本から世界へと広げていく。
キャリーミーと私自身の挑戦はまだ始まったばかりだ。
【11章へ続く】
編集協力・木村公洋