キャリーミーでプロとしてのキャリアが広がる

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【小説書きます】
「僕は、挑戦してはいけないと言われた」

大澤亮

大澤亮

1972年、愛知県生まれ。早稲田大学時代に両親から留学に反対され、自腹で米国に留学(カリフォルニア州立大学サンバーナーディーノ校→ U.C.バークレー)
2009年、株式会社Piece to Peaceを創業し代表取締役に就任。2016年、プロ人材による課題解決事業“CARRY ME(キャリーミー)“を創業。

大澤亮

逆境を乗り越えて築いたキャリーミーの軌跡

日本という国は本当に「挑戦」に対して不寛容だと、つくづく思う。そんな不寛容さが、失敗を恐れ、挑戦を避ける社会を作り上げている。挑戦する人よりも、安定を選ぶ人が評価される社会。リスクを取る者よりも、何もしない者が称賛される。そんな環境が、日本の未来を狭めているように思えてならない。

そんな日本社会の中で、自己成長のために挑戦をし続けている人を応援し、夢を具現化させたい。その想いから、私は2016年にキャリーミーというサービスを立ち上げた。キャリーミーというサービス自体も私の「挑戦」の記録だ。キャリーミーの母体となる株式会社Piece to Peaceは、かつて債務超過、会社の預貯金ゼロ、差し押さえにまで陥った。それがきっかけで、人材紹介事業に必須である「有料職業紹介事業」の免許を剥奪され、倒産寸前に追い込まれたこともある。

その頃、私の役員報酬はゼロ。それどころか個人で1600万円を捻出して会社の運営費に充てていた。これまで5度の創業と2度の売却を経験しているが、会社を倒産させたことは一度もない。あのときもギリギリのところまで追い詰められたが、2度の資金調達(合計5億円)を経て業績は急成長、黒字化まで遂げた。

「キャリーミーと言えば本田圭佑」
そう言われるまでになった。

プロサッカー選手であり実業家でもある本田圭佑さんや大手人材会社のパーソルグループをはじめとした10社以上から5億円以上の調達を受けるまでになった。
また、ご利用頂いている法人の支援数(プロ人材の紹介先の数)は、累計2500社を超え、大手企業の子会社や、2024年には、日本一の時価総額を誇る、自動車メーカー本社にまでもプロ人材を活用されるようにまで至っている。
その間も、私は挑戦を欠かすことはなかった。

「どうせ失敗するんだろう」
「わざわざそんな苦労をすることなんてなかったのに」
そんな言葉を何度も浴びてきた。失敗しそうになる者の足を引きずり下ろそうとする「ドリームキラー」を私は数え切れないほど見てきた。

しかし、実は私自身、挑戦し続けることができる人間ではなかった。本来の私は、何かに挑戦するたびに不安を抱え、「本当にこれでいいのか?」と立ち止まってしまうような人間だった。
なぜなら、私の人生で最も身近にいたドリームキラーは、他でもない私の父だった。

大澤亮

「挑戦するな」と言い続けた父

「安定こそが正義」
「余計なことは考えるな」
「挑戦なんてしなくても、生きていける」

父の口癖。呪いのように刷り込まれた言葉が、私の思考を縛っていく。挑戦することが「間違い」であるかのように、
失敗することが「許されないこと」であるかのように、何度も何度も私の脳内に刷り込まれてきた。

挑戦するたびに父の否定が待っていた。学校の成績が良くても「調子に乗るな。新しいことを始めようとすれば「余計なことをするな」。挑戦は家の中では邪魔者扱いだった。
その言葉に逆らったことは、一度や二度ではない。

「留学したい」
「起業したい」
そう言うたびに、父は決まって「そんなことをしてどうする?」と顔をしかめた。まるで、「挑戦」そのものが人生の無駄であるかのように。
まるで、「親の言うことを聞いて、安定した人生を送ること」こそが唯一の正解であるかのように。

私は何かを決断するたびに、必ず父とぶつかった。大学時代に留学を決意したとき。
「お前が海外に行ったところで、何の意味がある?」
「留学なんてしたら、日本の大企業には入れなくなるぞ」
まるで、挑戦することが悪いことであるかのように全否定された。

自らの手で人生を切り開こうとしているのに、それを真正面から否定する父。これは想像以上に苦しいことだった。
だけど、私は「挑戦する道」を選び続けた。それは父の価値観に対する反発だったのかもしれない。「言われた通りに生きたくない」という、単なる意地だったのかもしれない。だけど、振り返ってみると、それが私の人生を大きく変える決定的な選択だったのは間違いない。

もしあのとき父の言葉に従い、「安定」の道を選んでいたら、
私は「挑戦する人を応援するサービス」を作ることもなかっただろうし、5度の創業も2度の事業売却も、本田圭佑氏からの投資もなかったはずだ。
父の言葉に縛られながらも、心のどこかで「違和感」を感じ続けたこと。
それこそが、私の人生の大きな転換点だったのかもしれない。


キャリーミー代表の大澤亮です。このたび、私は起業以外に新たな挑戦を始めることにしました。
それは小説風物語の執筆です。
「え、小説を書く?」と驚かれる方もいるかもしれません。そもそも私自身、こうしたものを書くつもりはありませんでした。しかし、私の人生を振り返ってみると、私の人生そのものが「挑戦」をテーマを軸にした物語だったことがわかったんです。
挑戦に不寛容な国・日本は失敗を恐れて挑戦しないことが「賢い生き方」だとされている節さえあります。

「挑戦しなければ、失敗することもない」
確かにその通りかもしれません。
何もせずにじっとしていれば、転ぶこともないし、リスクを取らなければ失敗をすることはない。でも、それで本当に「自分の人生を生きている」と言えるのでしょうか?
私はキャリーミーという事業を通じて、「挑戦する人が正当に評価される社会を作りたい」と考え、挑戦者を応援し続けています。

「挑戦し続けることが当たり前になる社会」
「挑戦する人が報われる社会」
「リスクをとって挑戦して失敗した人が、再度挑戦できる土壌、カルチャー」
それが、日本社会にとって必要なことだと確信しているからです。

大澤亮

「挑戦」を普及させるというビジョン

私がキャリーミーというプラットフォームを立ち上げたのは「新しく挑戦するパートナー」に新しい選択肢を提供するためです。これには「挑戦する人が報われる社会を作りたい」という想いがあったからです。

日本では今なお、年功序列や終身雇用といった古い雇用システムが根強く残り、個人や企業の挑戦が阻まれていると感じています。

「挑戦したいけど、不安だ」
「新しいことに踏み出したいけど、機会がない」
「リスクを取るより、安定を選ぶべきだ」

そうした声を、何度も耳にしてきました。
個人の挑戦だけでなく、企業の挑戦も阻まれていると強く感じます。いくら優秀な人材がいても、それを活用する側の企業が「新しいことをする余裕がない」「どう活用すればいいかわからない」となれば、せっかくの才能も埋もれてしまう。
挑戦したい個人と、挑戦が必要な企業。この両者が適切につながれば、もっと多くの挑戦が生まれ、社会全体が前に進むはず。そんな考えが私の原動力になっています。

キャリーミーが掲げるビジョンは「挑戦できる人、そして挑戦できる会社を増やすこと」。プロ人材に、法人顧客に、自社の組織に、社会全体に対して「挑戦する人が当たり前に評価される環境」を作りたいと考えています。そのために、企業側にはプロ人材の紹介だけでなく、プロを活用しての挑戦の仕方、どうやって成果につなげていくか、リスクヘッジの仕方も併せて伝え続けています。

2020年には「貪欲に挑戦し続ける」というバリューを策定しました。これは単なる理念ではなく、実際に私たちの働き方そのものに根付かせるべき価値観です。

「失敗してもいい」
「リスクを取ってもいい」
だからこそ、意義のある事業をつくり、大きな目標を達成する。私たちはそんな組織を目指しています。

キャリーミーのサービスも、このビジョンに基づいています。企業の目標を分解し、「どんな挑戦が必要か」を明確にし、それを支えるプロ人材をマッチングする。挑戦する個人を活躍させることで、結果的に企業の挑戦も実現する。そうした成功事例を積み重ね、より多くの企業が「挑戦する価値」に気づくような流れを作っていきたいと思っています。

大澤亮

「物語」を通して挑戦者を増やしたい

キャリーミーを通じて、私は挑戦する人を応援し続けてきましたが、まだ伝えきれていない部分があります。それが私の人生の挑戦の記録。これを物語ならもっと深くもっと強く、伝えられる気がすると思ったんです。

「もっと多くの人に、挑戦の大切さを感情で訴えたけたい」

挑戦を促すことが目的ならば、単なるビジネスの話ではなく挑戦している時の感情の動きをリアルに伝えればいい。そう思い立ったとき、私の頭に浮かんだのが「物語」でした。人は、ただの事実やデータではなく、ストーリーを通じて共感し、心を動かされる生き物です。ならば、私自身の「挑戦の記録」を物語として書くことで、もっと多くの人に届けることができるのではないか?そう思い、私は小説を書くことを決めました。

物語を通じて、「挑戦」を伝えていきたいと思っています。これまで公にしてこなかった私の幼少期や少年時代、「挑戦」を嫌う父との関係性、現在までのキャリーミーの創業ストーリーを余すところなく綴っていきます。

もし10代の私が、今の私を見たら、どう思うでしょうか?
「そんなことができるわけがない」
「僕には無理だ」
苦笑いするかもしれません。

でも、私は殻を破りました。何度も挫折しながら挑戦し続けてきたからこその今があります。この物語は、「挑戦」をビジョンに掲げ、突き進むキャリーミーの創業物語であり、前半は、その挑戦のきっかけとなった私の半生の記録です。

この物語が、誰かの「挑戦」のきっかけになることを。
一人でも多くの人が、挑戦できる世の中になることを。
挑戦することで人生は変わります。もし、この物語が誰かの一歩を後押しすることができたなら、それこそが私の最大の挑戦の成果なのかもしれません。

なお、創業以外の「ストーリー」も、キャリーミー本体のサイトに随時、掲載していきます。お楽しみに。

編集協力・木村公洋