キャリーミーでプロとしてのキャリアが広がる

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6章 逆転の資金調達  ~本田圭佑という追い風~

大澤亮

大澤亮

1972年、愛知県生まれ。早稲田大学時代に両親から留学に反対され、自腹で米国に留学(カリフォルニア州立大学サンバーナーディーノ校→ U.C.バークレー)
2009年、株式会社Piece to Peaceを創業し代表取締役に就任。2016年、プロ人材による課題解決事業“CARRY ME(キャリーミー)“を創業。

初のピッチイベント「パーソル」の出資決定

組織内部の試練を1つずつ乗り越え、外部からの厳しい指摘も真摯に受け止める中で、私はキャリーミーという事業の本質に真正面から向き合っていた。ミッション・ビジョン・バリューを明文化し、組織の軸を定めるためにもがいた日々。その先に見えたのが「課題解決型」ビジネスモデルへの確信だった。

中でもシステムシェアード社との協業は、私たちのサービスが目指すべき道筋をはっきりと示してくれた。そして何より「プロ人材」という概念そのものが、市場で確かな手応えを感じさせ始めていた。こだわり抜いてきた人材の質が、クライアント企業の評価につながり始めていたのだ。

そんな中、外部環境が私たちにとって“想定外の追い風”となる。政府が打ち出した「働き方改革」「副業解禁」の潮流が社会全体に急速に広がりつつあったのだ。それは私たちがゼロから手探りで耕してきた「プロ人材」という市場に、ついに陽が差し込んできたような感覚だった。

「今動かなければ、この市場は他社に取られてしまう」
「いや、それ以上に自分たちこそが市場を創り、牽引していく存在にならねば」

そんな危機感とそれを上回る使命感が、私の中で明確な意志となっていた。そのためには事業を飛躍的に成長させるための資金が不可欠だった。これまで現実的な選択肢としてさえ考えてこなかった「本格的な資金調達」へと、いよいよ踏み出すときが来たのだ。

年商7000万円――。たしかに成長の証ではある。だが、社会のニーズが一気に変化しようとしているこの局面だと、現状維持では間に合わない。アクセルを踏み込むための燃料が明らかに不足していた。

そんな折、不意に訪れた最初のチャンス。2019年、知人を通じてサイバーエージェント系のベンチャーキャピタル(VC)が主催するピッチイベントに登壇しないかと誘われた。ピッチなど初めてだ。プレゼン資料の作成も完全に手探りだったが、不思議と緊張はなかった。

「1年間で年商1000万円から7000万円、という7倍の急成長という実績を示し、新しい市場の可能性を伝えたい」

そんな想いが私を突き動かしていた。ありがたいことに、直前にはクライアント企業・ベーシック社の秋山社長がキャリーミーを推薦する動画を制作してくれていた。そこで語られた言葉のひとつひとつが、私たちの信じる道の正しさを裏打ちし、大きな心の支えとなった。

ピッチイベントの会場には、大手人材会社・パーソルの投資責任者もいた。私自身は彼らを特に意識していたわけではなかった。だが、プレゼンが終わるや否や、その人物が真っ直ぐこちらに歩み寄ってきた。

「大澤さんのプロ人材というコンセプトやこれまでの実績、非常に興味深いです。ぜひ詳しくお話を聞かせてください」

まさに運命の出会いとも言える瞬間。そこからの展開は拍子抜けするほどスムーズだった。

初回ミーティングから投資決定までわずか2カ月強。キャリーミーが持つ独自のビジネスモデル、新しい働き方を象徴する「プロ人材」というキーワードがパーソルの未来戦略と見事に重なったのだろう。私たちの掲げる世界観が、初めて大手企業に本気で「可能性」として受け止められたのを肌で感じた。

しかも、人材業界の大手、人材に関して最も詳しい会社の1つが「プロ人材」という、つい数年前にゼロから創った市場に大きな関心とリスクマネーを投じてくれたのだ。これは大きな自信になった。

やがて、パーソルからの出資が正式に決定した。長きにわたって閉ざされていた分厚い扉が、ついに重い軋みを上げて開き始めたかのような感覚だった。これまでの苦労が、ようやく意味を持ち始めた。背中に誰かの手を感じた瞬間でもあった。

右から、PERSOL INNOVATION FUND合同会社の石田真悟様、
PERSOL INNOVATION FUND合同会社代表のパートナー加藤丈幸様、
当時の弊社CMO毛利との記念写真

右から、PERSOL INNOVATION FUND合同会社の石田真悟様、PERSOL INNOVATION FUND合同会社代表のパートナー加藤丈幸様、当時の弊社CMO毛利との記念写真

ちなみに投資決定後、その投資要因を確認したところ、以下の3つだった。

①プロ人材市場は確実に急拡大する、と想定していたこと
同社は当時「i-common(アイコモン)」という顧問紹介事業で成功しており、この顧問の隣接市場としてプロ人材市場にも注目していたのかもしれない。(今は同社も、プロ人材市場として、同じ業界で一緒に市場を拡大している)

②領域・強みの明確さ
キャリーミーは当時、「マーケティングのプロ人材」を謳っていて、売上の9割は、売上を上げたい、もしくはマーケティングに課題がある法人に対して、マーケティングのプロ人材(戦略からデジタルーマーケティング等の施策まで)で解決していた。今でもその強みは変わらない。

③大澤個人の連続起業家として経歴
何度も創業し、売却等も経験してきた実績を評価頂けた、とのこと。これまでの挑戦は無駄ではなく、ちゃんと評価されていた。

資金調達だけではなく、優良クライアントも続々増え、目前の業績、つまり毎月の売上も、月商500万円が、600万円、700万円、800万円、と増え、1000万円も超えはじめていた。
優良クライアントとは、上場前後の法人だった。

株式会社いつも様(その後、プロ人材20人を活用して上場)、株式会社ウィルゲート様(プロを複数活用し急成長)、株式会社PR TIMES様(既に上場された後でプロを活用)など新興上場企業や急成長企業にこぞってプロ人材を活用頂けたのがこの時期だった。 こうした優良取引先が急増したことにより、急成長した。

急成長により、足りなくなった自社のリソース・人員は、どんどんプロ人材で賄った。営業人員、マーケティング人員、CA(キャリアアドバイザー)から、経理などのバックオフィスまで、どんどんプロを入れた。

自社の成功体験とプロ人材への尊敬の念もあり、「自社でプロ人材をフル活用して、プロ人材活用が、労働人口不足の日本における企業成長の正しい道筋の1つであることを証明する」その勢いでどんどんプロを活用し続けた。合わなければ契約を更新しなければ良いので、雇用と比較して気も楽だった。

勝負の鉄則は「勝てるときに勝ちまくる」。波に乗っているときは「もっと攻めろ」と心の声が叫んでいた。

「つい最近まで債務超過、会社の預貯金ゼロという苦しい時期だったのだ。今攻めないでどうする?」と。

パーソル社からの投資だけでなく、キャリーミーがより急成長するために、また、プロ人材市場というせっかく創造した市場を爆発的に成長させるきっかけ作りのために、もっとできる事はないか?自分自身に問い続けた。

本田圭佑の即断即決「運命のプレゼン」で掴んだキャリーミーの未来

本田さんが出演したCMのワンシーン

本田さんが出演したCMのワンシーン

そこで、この追い風に乗じてさらにもう一歩、より象徴的でインパクトのある資金調達に踏み出すべきだと考えた。頭に浮かんだのは、たった一人の人物だ。

——本田圭佑。

世界を舞台に戦うプロサッカー選手であり、同時に実業家としても積極的に社会課題に取り組む彼ならば、キャリーミーの掲げるビジョンに共鳴してくれるはずだと直感した。単なる資金提供者ではなく、「プロフェッショナルとは何か」を体現する象徴的存在。私たちの理念と歩調を合わせ、新しい働き方の価値をともに広めていけるパートナー。私が思い描いていた理想の投資家像に、彼はぴたりと当てはまっていた。

私はすぐに知人のつてを頼り、本田さんと接点のあるエンジェル投資家に紹介を依頼した。いくつかのやりとりを経て、ついに本人とのコンタクトが実現した。最初のやり取りは、なんとLINE。直接会ったことのない相手とのやり取り。だが、画面越しの文字には知性と核心を突く鋭さが滲み出ていた。「本田圭佑」という名前が、単なる話題性ではなく本物であることを、画面越しのやり取りの中で確信へと変わっていった。

プレゼン(オンライン面談)の持ち時間は60分と決まった。その一瞬に、これまでのすべてを懸ける。私はそう決めていた。

資料は面談の1週間前には完成させ、そこから7日間はまるで試合を目前に控えたアスリートのように、自らの言葉を何度も口にし、録音しては聞き返し、声の抑揚や間の取り方に至るまで、徹底的に磨き上げた。気がつけば、20回を優に超える反復練習をしていた。

ただ情報を伝えるだけのVC向けピッチとは違う。相手はプロとして世界を生き抜いてきた本田圭佑だ。だからこそ私は、数字や戦略よりも「なぜこの事業をやるのか」「何を実現したいのか」という想いの部分、それに加え起業家としての「トラックレコード」、合わせて起業家・仕事人としての「運」に重きを置いた。

著名な本田さんには数千もしくは数万人の起業家がプレゼンしているはず。その中で無名の自分に着目してもらい投資までしてもらうには、他の起業家にはなく、自分にあるものをアピールしなければならない。それが、過去の2度売却というトラックレコードと、ここぞというタイミングでサイバーエージェントの藤田氏との出会いなど、「運と縁」で切り抜けることができているという2点だった。

キャリーミーが切り拓く「プロ人材」という新しい働き方が、いかに社会にとって意義のある挑戦であるか。大澤亮という人間がそれを本気で成し遂げようとしているのか。本田さんに響く部分はここだと思ったのだ。

これに加え、既にパーソルから出資を受けたことにより時価総額が一定評価されていたこと、それゆえ今この瞬間が“希少な投資タイミング”であることも交渉材料として織り込んだ。

迎えた運命のオンラインミーティングは60分だが、質疑応答やディスカッションなどの時間も考慮すると、プレゼンはわずか20分。限られた時間の中、私はPCのカメラ越しに語りかけた。

キャリーミーが解決しようとしている社会課題。「プロ人材」という概念が持つ未来への可能性。私がこの事業に懸けてきた覚悟と情熱。本田さんは時折、核心を突く質問を挟みながらも、終始静かに真剣なまなざしで耳を傾けていた。その眼差しには、言葉の奥にある覚悟の深度を測るような鋭さが宿っていた。

すべてを語り尽くした後、数回の質疑応答。そして、静寂…。その沈黙を破ったのは、本田さんの声だった。

「大澤さん、非常に面白い。ぜひ、出資させてください」

即断即決——。その言葉の力に、私は一瞬、呼吸を忘れた。感情が堰を切ったように溢れ出しそうになるのを必死でこらえながら、私は冷静さを装いながらも、心からの感謝を込めて答えた。

「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」

通話を終えた瞬間、誰にも見られないように、私は机の下で強く拳を握った。あの債務超過のどん底で、「神様は本当に見ているのだろうか」と自問した無数の夜が洪水のように胸に蘇った。

——見ていてくれたんだ。頬を伝う熱いものを拭い、私は深くひとつ息を吐いた。

本田さんからの出資は単なる資金調達の枠を超え、キャリーミーにとって象徴的な「信頼」の証でもあった。

「ビジネスにもプロ契約を」

このキャッチコピーのもと、本田さんを起用したタクシー広告や対談企画が次々と展開され、「プロ人材」という言葉は一気に社会へと浸透していった。あの日、誰にも知られず机の下で握りしめたガッツポーズ。あの瞬間が、確かに始まりだった。キャリーミーというブランドが、名もなきスタートアップから「新しい働き方の象徴」へと変わり始めた瞬間だった。

成功の高揚の中で、私は静かにこれまでの道のりを思い返していた。債務超過、仲間の離脱、契約の裏切り、そして、自分すら信じられなくなるような夜——。まさに「試練の谷底」と呼ぶにふさわしい日々の連続。
それでも、私は歩みを止めなかった。稲盛和夫さんの言葉が、ずっと心の支えだった。

「人生も経営も、その結果は考え方×熱量×能力の掛け算で決まる。その中でも最も重要なことは、考え方をプラスにしておくこと(マイナスだと掛け算の結果がマイナスになる)と、熱量であり、能力はあまり関係ない」
「困難は成長の機会であり、感謝すべき対象である」

そう信じ、感謝と執念だけを胸に何度も立ち上がってきた。だから今、こうして得た評価は単なる幸運ではないと胸を張って言える。むしろ、これはようやくたどり着いた“新たなスタートライン”なのだ。

私は決して驕ることなく、これを新たなスタートラインとして、さらに挑戦を重ねていく。個人が輝き、企業が強くなり、日本全体が元気になる。そんな未来のために、私はこの命を燃やし続ける。

挑戦はさらなるステージへと向かっていく。

【7章へ続く】

編集協力・木村公洋

本田さんCM撮影の際に撮った記念写真。当時の社員は、2名だけになってしまった。
いかに入れ替わりが激しかったか想像頂けると思う

本田さんCM撮影の際に撮った記念写真。当時の社員は、2名だけになってしまった。
いかに入れ替わりが激しかったか想像頂けると思う