起業・パラレルキャリア物語

アクアビット航海記「ある起業物語」 vol.32~家の重荷

みなさん、こんにちは。合同会社アクアビットの長井と申します。昨年の8月からCARRY MEさんに連載している「アクアビット航海記『ある起業物語』」の第32回です。今回から家の処分について語ってみます。この経験は私をとても強くしてくれました。作:長井、監修:妻でお送りします。

私に立ちふさがる土地と家

本連載でも何度か思わせぶりに触れてきましたが、ようやく家のことを語り始めたいと思います。

この家については連載第25回でも触れました。町田の中心部に位置する180坪の敷地と、そこに建つ二棟の家屋です。結婚前、私がこの家に住むことをとても嫌がったことは書きました。新婚生活を送るにあたり、二人でまっさらな状態から生活を始めたい。そう願った私の思いをくじいた家。結果、私と妻はその家で新婚生活をはじめました。そして妊娠が発覚したばかりのころ、妻はその家で強盗に襲われます。

この家はもう影も形もありません。本稿を書いている今、180坪の土地はコンビニエンスストアと公道の一部に姿を変えています。

なぜ住み続けられなかったのか。180坪の土地ゆえ、固定資産税がかかりすぎた? いえいえ。相続税が払えなかった? いえいえ。家が老朽化して住めなくなった?いえいえ。

答えは地代。地代が払えなかったのです。そう、つまりこの家は借地の上に建っていたのです。妻の曽祖父母から祖父母、両親に至るまで四代が住み、歯科医院を営んでいた家。それなのに所有していたのはウワモノの家屋だけ。土地は地主のもの。毎年、地主に地代を払っていたのです。その額、年275万円。普通のサラリーマンには到底払えません。

契約を見直すことはできなかったのか? その地代の根拠はどこにあるのか? 私が住むまでだれも何も手を打たなかったのか? 本稿を読まれた方にはもやもやと疑問が湧くことでしょう。

まず契約。私の手元に現在もありますが、私たちにとって手掛かりとなる契約は昭和42年に締結されたわら半紙にガリ版で刷られた条文のみ。信じられないことに、他に何も残されていませんでした。ガリ版で刷られた契約書とすら呼べない文書は「土地賃貸借基本取極め事項」と題されています。そもそも契約ですらないのです。覚え書きでもなければ。しかも、そこには判が押されていません。契約当事者の名前すら書かれていないのですからもはや話になりません。もちろん、書面の前文には日付とその場にいた当事者の名前が書かれています。ですが、法的な書類として体を成していないことは法律に疎い私ですらわかります。登記を調べたところ、昭和23年に借地権が設定されたようです。ですが、その時に締結されたはずの借地権契約はどこにも残っていません。

しかも、275万の納付は銀行振込ではありません。手で現金を持参するのです。引き換えにもらえる領収書は250万で切られます。残りの25万はどこに消えるのでしょう。そしてわざわざ銀行振込ではなく現金をじかに持参させる意図はどこにあるのでしょう。過去の情報を追うと、昭和50年に支払った地代は年額28万。28万がいつの間にか275万に変わっており、しかもその根拠は妻側の誰も知らない。

私の交渉相手

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そんな契約をまかり通させる地主のI氏。これがまた手ごわい。後年、家探しをする中でたくさんの不動産業者の方とお会いしました。彼らの誰もがI氏のことを知っていました。やり手の手ごわい地主として。町田だけでなく、横浜方面にもその名は鳴り響いていたようです。この方を知らない町田近辺の不動産屋はもぐり、と言われたことすらあります。I氏の名を出しただけで手を引いた不動産屋もいました。

私が相手にしなければならないのはこの地主だけではありません。町田市当局との交渉も必要でした。先に180坪の土地は今は公道の一部になっていると書きました。どういうことかというと、土地の一部が町田市の都市計画の道路拡張予定地に含まれていたのです。そして、その都市計画はかれこれ数十年にわたって施行されず、滞り続けていました。

何十年も遅々として進まない都市計画。それを遂行できずにいた町田市当局は税金ドロボーとそしられます。公道に土地を地権者から供出してもらうにあたっては、その対価を支払います。つまり補償です。つまり、私たちは市からお金をもらえるのです。ただしその前に、土地の所有者と借地権者の間で任意の割合で案分する合意を得る必要があります。公道に提供する予定の土地は40坪。地価評価額にして約4千万。つまり、私達夫婦と地主I氏の間には、4千万の金を巡る駆け引きがあったのです。そこに、契約の状態があやふやな残りの140坪の土地の所有権と借地権がからみます。ますますややこしい。しかし、市役所にしてみれば地主I氏と借地権者の妻と義父の間で案分比がまとまらないと都市計画が進まない。必死です。そして、地主も必死です。それ以上に巻き込まれた私も必死です。

どこをとっても問題だらけの契約。そして手ごわい地主。さらに都市計画にまで引っ掛かっている。私が妻と住むことになった土地と家にはこんな裏側があったのです。

連載第25回で義父が徒歩数分の場所に家と歯科診療所を建てたと書きました。なぜ同居せず、わざわざ徒歩数分のところに家を建てたのか。それは明らかに家の問題から逃れるためだったと思います。ここで義父を非難するつもりは毛頭ありません。むしろ、私はこの問題では義父に同情すらしていたのですから。話に聞くところでは、義父もこの家と土地の不透明すぎる契約を何とか見直そうと義父母に働きかけたのだとか。ところが、ムコにしか過ぎない義父にはどうしようもなく、ついにはサジを投げたのでしょう。

そもそも私にっての義父、つまり妻の父はこの土地の契約にはあまり携わっていないようです。ここで妻の実家のあらましを少しお話しします。まず、妻の曽祖父母のY夫妻が借地権をI氏と結びます(借地権契約書は行方不明)。その一人娘が妻の祖母です。そこに婿養子で来た妻の祖父との間に生まれたのが、これまた一人娘の妻の母。妻の母と父S氏が結婚する際、妻の父は婿養子に入りませんでした。つまり、妻の母はこの時点で姓をSに変えます。その間に生まれたのが妻と弟。ですから、妻の出生当時の名字はSでした。ですが、そうするとY家が絶えてしまいます。そのため、子供の一人を養子に出してYの家を継がせる約束を交わしていたようです。その子供こそが私の妻。実際、妻は昭和62年に養子縁組で祖父母の養女となり、SからYへ改姓しました。

しかし、私と妻が知り合う数年前に、妻の祖父母(平成7年)と母(平成9年)が相次いで世を去りました。慌ただしい日々の中、家と土地の契約のいきさつは、おそらく伝承されなかったのでしょう。そして義父は、誰もいない空き家となった2軒の家の処分どころではなくなったと思われます。誰も住んでいないのに年間275万も払い続けなければならない家。もはや負債以外の何物でもない180坪の土地と家。その地代は義父が負担せず、祖母が妻に残してくれた遺産を取り崩して支払っていました。私が妻と結婚した時点で残っていた遺産から逆算すると、地代を支払えるのは残り四年しかありません。義父も妻も動くすべを知らず、ただ毎年275万が目減りする状態。そんなところに妻の結婚相手として名乗りを挙げたのが何も知らない私です。

一人で交渉の場に

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私は妻の実家にそのような複雑な事情が絡んでいるとは知らずに結婚を申し込みました。おそらく、私と妻がもっと以前に出会っていれば、私は婿養子に入ることを余儀なくされていたはずです。おそらく、私の名字は長井ではなくYに変わっていたと思います。

ものすごく意地悪に考えれば、私は家の処分担当として見込まれたわけです。私が結婚を許されたのも、家の処分コミとしてだったのかもしれません。義父がサジを投げ、どうしようもなくなった2軒の家と土地をなんとかしてくれる婿として。良い方に考えれば、義父の目には私が家の処分を成し遂げられる男と映ったのかもしれませんが。

事実、その後の一連の交渉にあたっては、義父からも義弟からも何の助けも得られませんでした。地主との交渉もほぼ私一人で行ないました。最初の地代の納付だけは、私を地主I氏に紹介するため妻が同行してくれました。しかし、それ以降は妻は交渉の場に来ませんでした。最後の土壇場で同席した以外は。それ以降、家の処分を完了させるまでの数年間は、I氏のもとに伺うのは私の役目でした。その度に毎年の地代納付と家の処分の交渉にあたっていたのです。借地権にも所有権にも私の名は登記されておらず、契約当事者でもないのにです。その交渉の席では、いろんなことがありました。そのいきさつはこの後の連載で触れていこうと思います。このタフな交渉の経験が、現在の私の起業に役立っていることはもちろんです。

私は当事者でもなく、契約上なんの義務がなかったにも関わらず、妻と結婚してその家に住んだためにその駆け引きの当事者となりました。仮に結婚にあたって違う家に住んでいたら、私が家を処分する筋合いはなかったはずです。せいぜい、妻が資産を処分する際に協力したぐらい。

連載第30回で妻が妊娠するまでのいきさつと、妊娠中のトラブル、そして娘の誕生を書きました。その中で私は正社員として身を固めることにしました。ところが無事に娘が生まれたのに、私の両肩には家をどうするのか、という問題が重く重くのしかかっていたのです。若干26歳にしてそんな身に余る責任を負うことになった私。結果として、私はこの任務をやり遂げましたこの体験が起業にいたる私の一部になっていることは言うまでもありません。

次回も引き続き、家のことを書いてみます。ゆるく永くお願いします。

この記事を書いた人

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アクアビット長井

合同会社アクアビットの代表社員としてIT業界におります。kintoneエバンジェリストでもあります。独学の人生です。 旅行、読書、スポーツ、酒、音楽・映画、その他趣味嗜好は広く浅く持っています。
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