起業・パラレルキャリア物語

アクアビット航海記「ある起業物語」 vol.28〜Excelマクロ使いから正社員へ

GOOD JOB written on keyboard with magnifying glass

みなさん、こんにちは。合同会社アクアビットの長井と申します。昨年の8月からCARRY MEさんに連載している「アクアビット航海記『ある起業物語』」の第28回です。今回は27歳にしてようやく正社員になる話です。

2000年問題

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2000年。Y2K問題の不安で幕をあけました。Y2kすなわち2000年問題とは、年月計算に関するコンピューターの不具合に起因します。その不具合は1999年から2000年に年度が切り変わる際に顕在化するとされていました。具体的には、コンピューターが年を2桁で管理していた場合、1999年は99、2000年は00と扱います。2000年になった途端、年の値が00に切り替わります。すると00を2000年ではなく、1900年と誤認識する。これが2000年問題です。この問題によって年月計算にバグが生じ、誤請求やシステム停止などが発生すると警鐘が鳴らされていました。

結論としてスカパーではW2K問題は起きませんでした。私も年末年始は休めたように記憶しています。しかし、年末にはトラブル時の対応についての注記喚起文書が回ってきたような記憶があります。

2000年問題とは、プログラマーやエンジニアでなければ興味の持ちようのない問題でした。それまでの私なら世に溢れるニュースの一つとして片付けていたはずです。ところが私にも2000年問題は実感として感じられました。集計担当である自覚と、少しのマクロをかじったことによって。上で2000年問題を詳しく書いたのは、当時の私がこの程度の理屈であれば理解していたことを示すためです。大学時代、政治学研究部にいたころから、私はさまざまなオピニオン誌を読んでいました。ところが、そのためでしょうか、世に溢れる問題の多くは、私にとっては誌面の中の問題でしかなかったように思います。つまり問題を実生活の感覚で扱えていなかったのです。実感するより先に、それらの問題を机上や論壇で議論されるべき問題として閉じ込め、どこか引いて眺めていたように思います。ところが、ここにきて私は2000年問題を社会の問題、自分に直結する問題として受け止められるようになりました。これは私の成長ですし、独り身で東京に飛び出した成果だと思います。とはいえ、2000年初頭の私のコンピューターに関する知識はまだExcelのマクロの延長でしかありません。しかし、その一年で、私はシステムの楽しさに目覚めるのです。

Excelのマクロ使いからの脱却

第26回で「運用サポートチーム」にはオペレーターがいない、と書きました。ですが、それは少しだけ訂正させてください。私が集計担当に着任した時、私の前任者Nさんの補佐としてオペレーターのKさんがいたのです。正確には週の限られた曜日だけでしたが。そして私が集計担当に着任して数カ月たち、Kさんは私に新潮社のスポーツ年鑑ウィナーズというプレゼントを残して離任します。かわりに着任したのがOさん。私よりも数歳年下の女性です。そして、Oさんは前職でシステム開発をされていました。私はこのOさんからシステム開発の初歩を学ぶのです。

私がそれまで触っていたExcel。それは縦横二次元の表からなります。複数の表がシートの中に配置されます。シートは複数集まり、一つのワークブックへ集積されていきます。つまり二次元の集まり。ところが、集計の実作業に携わると二次元では限界が生じます。つまり三次元へと意識を飛躍させなければなりません。私は集計担当としてExcelを扱う中で、少しずつExcelの限界も感じ始めていました。どうやればより効率的で立体的な集計作業ができるのか。もっとも、Excelも工夫次第では、多次元の作業が可能です。例えば私が「集計チーム」で作った集計表も、シートに書かれた行と列からなるデータを、別の入力シートからマクロで書き込むもの。つまり行列だけでなく、別次元から二次元に書き込む仕組みを作っていたからです。ただ、それをよりシステマチックに突き詰められるのがAccessだと思います。そのためにはAccessを覚えなければ。ところが私はどうしてもAccessのフォーム・レポートとテーブルの関係が理解できませんでした。Accessとは、データがデータとしてのみ存在します。つまりデータベース。フォームを通してデータの入力と編集を行い、結果を見るにはレポート。Excelに比べるとAccessはいくぶん柔軟性に劣ります。

私はAccessのツボが理解できず、戸惑いました。ツボを教えてくれる人も回りにいません。どういうふうに学べばよいかの突破口も見つかりません。すっかり困っていました。そんな私にAccessのデータとフォーム・レポートの関係を教えてくれたのがOさんでした。Oさんによって二次元のテーブル、つまりデータが三次元のフォームやレポートに変換できることを教えてもらいました。また、データがデータとして格納されていることで、データの整合性が保証されることも。私はこれによって、プログラマーとして一つ上に上がれたように思います。今に至るまで私は情報処理エンジニアとしていくつかの段階を超えてきました。そしてExcelのマクロを超えることが最初の難関であり、私が情報処理の世界で生きるきっかけとなりました。今、Oさんとは疎遠になっていますが、感謝しています。

正社員へと登用される

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あとで聞いたところOさんはシステム開発の会社を辞め、つぎに語学の分野に進みたいとの希望を持っておられました。その合間に稼ぐため、オペレーターとしてスカパーの現場に派遣されていたそうです。実はスカパーにはそういう方が大勢いました。学生や主婦以外だけでなく、たくさんの夢追い人がいたのです。そして、私のようにとりあえず就職、という人も。

第23回でも書きましたが、スカパーのカスタマーセンターには数社が業務請負として入っていました。パソナソフトバンクもその一社。これだけ大勢の人がいれば、全てがパソナソフトバンクの直契約とはいきません。派遣社員が多数集まる職場は契約関係や商流関係が入り乱れ複雑になるものです。私も後年、個人事業主として各現場を渡り歩く中でそのことを理解しました。ですが、この時はまだそういう仕組みがさっぱり分かっていませんでした。スカパーのカスタマーセンターとは、私にとって初めて就業にもいろいろあることを教えてくれた現場でした。それまで、私の経験の中で似たような現場といえばDUNLOPくらい。でもDUNLOPでは第十七回に書いた通り、私自身が何のためにいるのかわかっていなかったので、そういう事情を理解できるわけもなく。

そんな私に対して、パソナソフトバンクの下で業務を請け負う会社が接触を図ってきます。その会社の名前は忘れてしまいましたが、パソナソフトバンクの請負業務のいくつかでマネージャはその会社の社員さんでした。つまりマネージャを派遣する会社です。そこの会社の方がそれとなく私の今後についての意図を聞いてきたのです。といっても当時の私はそれが引き抜きの前触れであることをわかっていなかったのですが。鈍かった私はその会社に誘われていたことすら気づかぬままでした。そんな私を見て、引き抜かれる前に引き抜いてしまえ、と思ったのかどうかはわかりません。パソナソフトバンクから正社員の誘いが来ました。それがいつだったのかは覚えていません。ですが、私の手元に2000/6/27付けの業務経歴書が手元に残っています。ということは、2000年6月には面接に臨んだのでしょう。

私は、新宿の本社での面接をへて、パソナソフトバンクの社員に採用されました。入社日は覚えていません。2000年7月ではないかと思います。それによって、私は27歳にしてようやく正社員になりました。名刺を持ったのも初めて。それは私にとって一つのステップアップでした。

次回は、正社員としてのさらなるステップアップを紹介したいと思います。ゆるく永くお願いいたします。

この記事を書いた人

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アクアビット長井

合同会社アクアビットの代表社員としてIT業界におります。kintoneエバンジェリストでもあります。独学の人生です。 旅行、読書、スポーツ、酒、音楽・映画、その他趣味嗜好は広く浅く持っています。
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