起業・パラレルキャリア物語

アクアビット航海記「ある起業物語」 vol.24〜自立した自分を悟る

formal-wear-1517077_640

みなさんこんにちは。合同会社アクアビットの長井と申します。昨年の8月からCARRY MEさんに連載している「アクアビット航海記『ある起業物語』」の第24回です。今回は、結婚に向けての日々を、特に自立した自分を悟った時のことを書いています。

結婚に向けた日々の中で

東京に居を構え、職も決めることができた私。次にやるべきは結婚へ向けての諸作業です。町田に住む妻とは家が近くなり、会う機会も増えました。そこから二人で式場や、招待客、新婚旅行の行き先選びの日々が続きます。ですが、本連載はそれらの苦労を語ることが目的ではありません。そのあたりのエピソードは結婚情報誌に連載する機会まで取っておきます。

それよりも語っておきたいことがあるのです。それは私自身に備わった覚悟と、新居を決めるまでのいきさつについて。なぜかといえば、この二つは私のその後の人生航路、とくに起業へ至る複数回の転職に関わってくるからです。今回は、この時期の私に生じた心境の変化から語ってみたいと思います。

連載の第22回で触れたとおり、私が東京行きを決めてから住民になるまでの期間は2週間ほどでした。そこにはある種の発作にも似た唐突さがありました。親へ話を切り出した経緯と、親への感謝の思いもその場で同じく書いています。ところが、その稿で書いた親への感謝とは、現在の私が当時を思い出して書き加えた思いです。実際のところ、上京へと突っ走る当時の私には、親への感謝を心の中で醸成するだけの余裕がありませんでした。あの2週間、私の視野はせいぜい20度くらい。後ろどころか横すら見えていません。思い詰めた私には前しか見ておらず、未来への希望で頭が沸騰していたから。

親への感謝は自立の証

137309596_624

私が親への恩を感謝したのは上京してすぐの頃でした。前触れもなく飛び出すように東京に行ってしまった不肖の長男のために、両親が甲子園から車で来てくれたのです。洗濯機や身の回りの所持品などと一緒に。私がスカパーのカスタマーセンターに入る前だから、1999年4月の中頃だったと思います。私の父親は当時60歳だったのですが、名神と東名を走破しての運転は骨が折れたことでしょう。多分、それが親心なのでしょうね。ところが当時の私は新生活に胸を躍らせていて、別れを味わう間もなく息子を失った親の気持ちに目を遣る余裕はありませんでした。私の両親の心中はいかばかりだったか。寂しくおもったのか、それとも、頼もしさを感じたのか。私にはわかりません。私の両親はあの時、東京に行ってしまった長男に会い、何を思ったのでしょうか。いま、こうやって当時の自分を思い出してみて、ようやくわかる親のありがたみです。

当時、東京にも世間にも不慣れな私は親の宿泊場所すらも手配してあげられませんでした。そんなわけで私の両親は町田ではなく、わざわざ横浜の本牧のホテルに泊まっていました。数日の滞在も過ぎて最終日、妻も含めて4人で横浜中華街を散策します。いよいよ甲子園へと帰ってゆく両親とお別れです。それは忘れもしない、石川町駅の近くにある吉浜橋駐車場でした。横浜中華街の延平門から石川町駅に向かう途中に、現在もその長細い駐車場はあります。長細い駐車場の端に停めた車へと歩いていく両親の後ろ姿をみながら立ちつくす私。この時の気持ちは、現在でも思い出せます。せつなく胸がいっぱいになる思い。泣きこそしなかったものの、この時に感じた哀切な気持ちは、これまでの人生でも数えるほどしか味わえていません。横にいる妻(まだ婚約中でしたが)と一緒に東京で頑張っていこうとする決意と去ってゆく両親の後ろ姿に叫びたいほどの衝動。この時に揺れた心の激しさは、いまも鮮明に思い出せます。また、忘れてはならないと思っています。私の生涯で親離れした瞬間を挙げろと言われれば、このシーンをおいてありえません。このとき、私はようやく東京生活への第一歩を踏み出したのだと思います。

自立した瞬間の感動が起業への糧となる

morning-2243465_640

誰にでも親離れの瞬間はあります。私が経験したよりもドラマチックな経験をした人も当然いるでしょう。親との望まぬ別離に身を切り裂かれる思いをした方だっているはず。親との別れはすべての人に等しく訪れます。私の体験を他の人の体験と比べても無意味です。ただ、私にとってはこの時こそが親離れした自分を自覚した瞬間でした。親から離れ、一人で歩もうとすることを自覚し、それをはっきり心に刻みつけた瞬間。この経験は後年の私が“起業”するにあたり、よりどころとした経験の一つでした。なぜなら、自分が独り立ちし、一皮向けた瞬間の気持ちとは、起業を成し遂げた瞬間の気持ちにも似ているからです。少なくとも私にとってはそうでした。

私が関西の親元に住み続けていたら、間違いなく起業には踏み切れなかったはずです。そして、親からの自立をはっきりと意識した経験がなければ、関東に住んでいたとしても果たして起業にまで踏み切れたかどうか。

ちなみに自立と疎遠は別なので、念のため。私は上京してまもなく19年になろうとしていますが、毎年の盆暮れには両親のもとへと帰省しています。いまでもたまにモノを送ってもらっていますし、仕事もたまに手伝ってもらっています。上に書いたような出来事があったからといって両親を遠ざけたわけではありません。自立と疎遠は違うのです。この時から私は親とは別の家族、別の人生を歩み始めたのです。たぶん、それが大人になったということなのでしょう。そして、自分がいつ大人になったのか。それをはっきりと意識し、独り立ちした自分への感触を確かにつかめているか。この時、自らが親から離れ、独立したことの感動を抱えたまま、その後の人生で仕事や結婚の失敗なく生き続けられたことは、私にとって大いなる成功体験です。この体験があったからこそ、起業に際して私は尻込みせずに進めたのだと思っています。

次回は、もう一つの新居を決めるためのことを語りたいと思います。ゆるく永くお願いします。

この記事を書いた人

長井さんプロフィール画像
アクアビット長井

合同会社アクアビットの代表社員としてIT業界におります。kintoneエバンジェリストでもあります。独学の人生です。 旅行、読書、スポーツ、酒、音楽・映画、その他趣味嗜好は広く浅く持っています。
【URL】 http://www.akvabit.jp
【Facebook】
        個人 https://www.facebook.com/YoshikazuNagai.akv
        法人 https://www.facebook.com/akvabit
【Twitter】
        個人 https://twitter.com/akvabit
        法人 https://twitter.com/akvabit_llc

関連記事もご覧ください