起業・パラレルキャリア物語

アクアビット航海記「ある起業物語」 vol.19〜航海記 その8

操り人形,ビジネスマン

みなさん、こんにちは。合同会社アクアビットの長井と申します。この8月からCARRY MEさんに連載している「アクアビット航海記『ある起業物語』」の第19回です。前回に続いて起業に至るまでの歩みを語っています。今回は、私がブラック企業でしごかれる話です。

妻と付き合いはじめ、編集業に就職しようと舵を切る

妻とは、1998年の初夏ごろからお付き合いすることになりました。妻はすでに歯科医免許を持っている歯医者さん。大学病院に勤めつつ実家の歯医者でも手伝っていました。かたや私は、持っている免許といえば自動車運転免許だけ。要するに一介のアルバイトです。あまりにも差がありすぎる境遇。たぶん普通の人ならここで高嶺を仰ぎ見るだけで終わるのでしょう。ですが、昇り竜のような私にとってそんな立場の差など無関係。仰ぎ見る高嶺が富士山だろうがチョモランマだろうが意に介しません。ましてや世間体など当時もいまも眼中の外で、妻が二つ年上であることも些細なことです。どれもこれも私の恋情を止めるには取るに足りないことばかり。そんなわけで私のアタックは寄り切り寄り切り、そして金星です。

お付き合いしてもらえることになったとはいえ、収入の差は歴然です。私も相手にふさわしくならねば。いつまでもアルバイトに甘んじているわけにはいきますまい。いかな私でもそう考えます。このままでいいはずはない、と。そこで私はそれまで一切興味の湧かなかった就職へと舵を切ります。

私が目指そうとしたのは編集者です。なぜ編集者なのか。その理由はこの2年にあります。悩める日々、私は本を読みまくっていました。読書に耽溺していたと言ってよいほどに。私を鬱に陥れ、そして回復させてくれた本たち。本はまた、私に人生の意味を教えてくれました。そんな本を生み出す仕事に携わりたいと思うのは自然な流れです。その中で私自身がそういうクリエイティブな職種に就ければいうことありません。例えば作家や物書きのような。ただ、私の中では、文学の熱に浮かされているだけでは生計が成り立たず、結婚もおぼつかないとの判断もありました。それならばまずは編集の仕事をしてみよう、と。そんなわけで、1995年の夏に放り出してから3年、ようやく私は就職活動に復帰します。私のターゲット業種は出版社。職種は編集。

当時の私に「自分、将来、情報処理業界で会社を作るんやで」と伝えたら、どういう反応が返ってきたでしょう。多分「は? なにゆうてんの、自分?」てな反応がかえってきたことでしょう。当時の私の人生設計に情報処理業界はまったく入っていなかったからです。芦屋市役所で身につけたExcelのマクロは、現在の私が考えても初歩の初歩。ましてやデータ登録のスキルだけで生きていけないことは、データ登録の派遣社員での経験でも明らか。そもそもデータ登録と情報処理業界は私の中では別物で、しかも情報技術やプログラミングにまったく興味がありませんでした。私がプログラミングの面白さに気づくのはまだ先の話。

後先を考えず出版社に履歴書を送り始めた私。ところが編集経験ゼロの人間を雇ってくれる奇特な出版社などそうはありません。そもそも出版社はほとんど東京に集中しています。兵庫に住む私が東京にいくら履歴書を送ったところで、返ってくるのは丁重なお断りの文章だけ。ところが、一社だけ私を面談してくれる出版社がありました。そんな奇特な出版社こそが中央出版さんです。

ブラック会社での日々

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無知でウブな私は、中央出版さんに面接に出向き、編集の仕事を希望しました。正確に言えば私が面談を受けたのは、中央出版さんのグループ子会社にあたる大成社さんです。面接の場には、Blurの『Tracy Jacks』が流れていました。この曲のサビの部分「Tracy~Jacks♪」は「たい~せい~しゃ~♪」と聞こえるのですよ。おお、何と遊びごごろのある会社、とのんきな私は考えていました。数日もせずに採用のご連絡をもらった際も、まだそう思っていました。それまでお世話になっていた社会保険労務士さんには、出版社に勤めることになったので、とお暇を告げました。

そんなウブで無知な私は、初出社の日からほどなく嵐に巻き込まれます。その日々は弊社ホームページの読読ブログの「若者を殺し続けるブラック企業の構造」のレビューの後半で書きました。

なお、上のレビュー内では名を伏せましたが、本連載では大成社と実名を出します。中央出版さんはグループ会社をオトナノジジョウでスクラップ&ビルドすることで有名です。もちろん、大成社はすでに廃業済み。影も形もありません。もっとも、Webで検索すると大成社が残した伝説の数々はそこかしこで読めるのですが。

大成社での日々を上のリンク先から引用してみたいと思います。

その会社は出版社の看板を掲げていた。しかしその実態は教材販売。しかも個人宅への飛び込みである。出社するなり壁に貼り付けられている電通鬼十則をコピッた十則を大声でがなり立てる。挨拶もそこそこにして。

朝礼は体育会系も真っ青の内容で、絶え間ない大声と気合の応酬が続く。しかし、そこに単調さはない。きちんと抑揚が付けられている。おそらくは営業所のリーダーの裁量にもよるのだろう。前日に成果を上げた者には惜しみない賞賛の声が掛けられるが、一本も成果を上げられなかった(ボウズと呼ぶ)者には、罵声が浴びせられる。私は数日ボウズが続いた際、外のベランダに連れ出され、髪型のせいにされてその場で丸刈りにされた。これホント。私がクビを告げられたのも朝礼の場。

朝礼が終わった後は、ロールプレイングと称する果てしないやりとりの復習。詳細な住宅地図から描き出す訪問ルートの策定を中心とした行動計画。担当毎にエリアが割り振られ、その地域を一定の期間訪問し尽すまで、そのエリアへの訪問は続く。

朝こそ12時出社だが、成績が悪いと10時出社の扱いになる。無論朝からロールプレイングの時間が待っている。派遣地域から営業所に帰ってくるのが22時前後。それから明日の営業資料の整理やら反省会やらがあり、終電は当たり前。そんな中、朝10時出社は厳しい。

このレビューに書いたことは事実です。例えば、知らずにヤクザさんのところを訪問し、しつこくねばった結果、掌底で殴られ監禁されそうになったくだり。本当です。ベランダで丸刈りにされたのも。

離職させることが前提の採用。ふるい落として選別されなければ待っているのは退職のみ。そこで勝ち残った者だけが希望の業務に就ける容赦なき弱肉強食の社風。成績優秀者は皆の前で100万円以上の厚みのある札束が渡されます。現ナマです。振り込みなどという生ぬるい給与の渡し方はしません。徹底的なアメとムチの世界。ボウズが続けば、固定給しかもらえません。かわりにもらえるのは数限りない罵声と叱咤の嵐。その格差が人を奮い立たせ、這い上がる人はそこで奮起する

それまでの人生、私の人生は浮き沈みこそあれ平穏でした。もちろん中学の頃はイジメにも遭ったことはありますし、その時は理不尽な目にも遭いました。でも、それも同じ級友の間のいわゆるなれ合いの中のイジメです。ところが私が入ってしまった大成社とは、なれ合い以前に平穏を許さぬ会社でした。ブラック企業のレジェンドの称号はなまなかなことでは得られません。私が社会の厳しい現実を嫌というほど見せられたのが大成社での日々です。1998年の11月からの約3カ月の。

1999年の2月始め、私は皆がそろう朝礼の場でクビを宣告されました。この時に受けた屈辱は丸刈りされた時の記憶と相まって、私を打ちのめしました。私が東京に出て結婚した6、7年後になっても夢に出てくるほどに。同時に入った10人ほどいた同期は、私がクビにされた時点で3、4人しか残っていませんでした。

ブラック会社で得たこと

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でも、大成社に勤めた3カ月の全てが苦痛に満ちていたと書くのはフェアではありません。良いことだってわずかですがあったのです。例えば契約を獲得すると、ホワイトボードの名前の下に選挙当選者と同じような花が貼られます。私は1、2度しか達成できませんでしたが、1日に2件の契約を獲得すると「ダブル」といわれ、帰社すると拍手で迎えられ、翌日の朝礼でも称賛されます。私は自分が担当する商材であるテストにも、テストを受けた家庭に売り込まれる教材のゴールウィンにも愛着は持ちませんでした。ですが、毎日毎日何軒もご家庭を訪問していると、中にはうれしい家庭にも出会えるのです。ケンもホロロに門前払いを食らうこともあれば、頑張ってるわね~とねぎらってくださる家庭が。当時の私にもノルマや売上で脳内をたぎらせ、目を血走らせていただけではない瞬間もあったのです。訪問したお宅のお子さんとその保護者様を相手にトークを展開しながら、保護者が親身にお子さんの将来を案じる気持に胸が熱くなったことも、たびたびありました。私に門だけでなく心も開いてくださったご家庭では、たとえ契約に結び付かなかったとしても温かい気持ちで辞去できました。また、大成社の大阪支店には諸先輩方もいました。私についてくださった方はHさんといい、一生懸命指導してくださいました。理不尽で不条理な日々であっても、全てが暗黒ではなかったことは書き添えておきたいです。

“起業”した現在、私はいろんな会社に訪問する機会があります。一度も伺ったことのない会社へ単身で訪問することも多いですが、気後れすることはありません。これは毎日何軒ものお宅へ飛び込み訪問した経験のなせる業です。いまでもやれと言われれば契約がとれるかはさておき、飛び込み訪問できる自信はあります。何百軒も飛び込み訪問した経験はダテではありません。また、“起業”すれば深夜や土日に働くなど普通です。お客さまに怒られることだってあります。でも、大成社での日々に比べると大したことではありません。大成社の日々はそれ以上に苦しかった。私の人生を振り返って言えるのは、この試練をくぐったことで人生の次のステージに進めたことです。

ただ、“起業”するためにあえてこういう会社に飛び込むべきかと問われれば迷います。現在の私はもう大成社の夢にうなされることはありません。ですが、もし私の娘や友人や知り合いが就職するとなれば間違いなく反対します。私自身が二度と体験したくないのに、人に勧めるわけがありません。休みはどこにも出る気力がないほど疲れ果て、付き合っていた妻と電話で話すだけが精一杯の日々。周囲から追い詰められ、夜も昼も追い込められる日々。人にはそれぞれ耐えられる閾値があります。私はたまたま精神を病む前にクビになって解放されました。それ以上いたら、再び鬱に陥っていたかもしれません。

ただ、現在となって振り返ればブラック企業での経験は得難いものだったと思います。その日々は私を強くしてくれました。また、それまでの3年間のぬるま湯気分を一掃してくれました。負けて打ちのめされればそれまで。ですが、乗り越えたことで(私の場合は乗り越えたわけではありませんが)その後の試練に耐性がつきました。私が打たれ強くなったのはこの経験からです。また、“起業”したいま、パートナー技術者や部下に対して絶対にブラック企業のような使い捨てをしない、と決めているのも大成社での経験を反面教師としているからです。また、つらい時期も過ぎてみればそれまで、という人生訓を得たのもこの時期です。大成社での日々は私が”起業”する上で欠かせないイニシエーション(通過儀礼)だったと現在は思っています。

大成社よりも過酷な、そして人権をないがしろにするような職場は他にも存在することでしょう。そして、そのような職場に耐えられるかどうかもその人次第です。クビになったからといって気に病むことはありません。ここに書いたのはあくまでも私の個人的な経験、そして結果論でしかないのですから。ですが、結果として朝礼で皆の前でクビを言い渡された屈辱。それは、私をさらなる行動へと駆り立てます。次回はそのあたりをお話ししたいと思います。ゆるく永くお願いします。

この記事を書いた人

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アクアビット長井

合同会社アクアビットの代表社員としてIT業界におります。kintoneエバンジェリストでもあります。独学の人生です。 旅行、読書、スポーツ、酒、音楽・映画、その他趣味嗜好は広く浅く持っています。
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