起業・パラレルキャリア物語

アクアビット航海記「ある起業物語」 vol.14〜航海記 その3

Group of Diverse People Holding Word Learn

Group of Diverse People Holding Word Learn

みなさま、こんにちは。合同会社アクアビットの長井と申します。この8月からCARRY MEさんに連載している「アクアビット航海記『ある起業物語』」の第14回です。前々回より起業に至るまでの歩みを語りはじめています。前回は、大学での生活が私の起業に与えた影響を4つあると書き、そのうちの2つを書きました。今回はその続きです。

違う環境に身を置くこと

living-room-371455_640
もう一つ。起業にとって大きな糧となったこと。それは、大学のキャンバス内ではなく、大学の外で得ました。当時、ダブルスクールという言葉がありました。ダブルスクールとは、大学以外の別の学校でも学ぶことを指します。そこに入るきっかけはどうだったか覚えていません。多分、電話セールスだったのでしょう。世間知らずの私は言葉巧みに会わされ、そこで契約してしまったのです。正直、その金額は覚えていませんが、80万くらいはかかったのではないかと思います。しかもあろうことか、私はこの学校の名前すらおぼえていません。

いや、いま思い出しました。
トリニティー・アカデミーという学校です。いま調べたら、名前が変わったみたいですね。しかも当時の勧誘方法に問題があったことまでWikipediaに書かれています。営業の方のお名前や顔も覚えていないし、どういう営業トークだったかも覚えていません。が、言葉巧みな営業トークで契約まで追い込まれたのでしょうね。親に払ってもらったことにとても感謝しています。

学校の名前すら忘れていたくらいなので、そこでの交流関係は当時も現在もまったくありません。
友人は一人も作れなかったし。ところが、そこで得たスキルがいまなお役に立っているのだから、何事もやってみるものです。確かこの学校のカリキュラムはワープロとパソコン、英会話の3コースから成り立っていました。

パソコンの授業内容は現在から思えばベーシック言語で丸や図形を描くといった、ビジネスではまったく使えない類の授業。英会話も、当時のスキルが自分にどう役立ったのか心もとないです(第12回で書いた台湾一周旅行には役立ったのかもしれませんが)。
ですが、ワープロコースだけは違いました。私がブラインドタッチをマスターしたのが、このコースだったのです。私はワープロ検定の3級か2級を持っているのですが、その試験もこの学校で受けた記憶があります。ブラインドタッチこそが、私が後年、パソコンで身を立てる素地となりました。

もともと中学の頃から家にあったワープロ(SANYO製SWP-330だったはず)で、大名家の家系図作りや、アドベンチャー・ゲームを作っていました(うーん、インドアやなぁ)。ところが、キータッチは完全に自己流。とても仕事で使えるレベルではありませんでした。でも、ここで覚えたブラインドタッチは、私にとって重要な糧となったのです。

これだから人生はどうなるか分からない。もちろん、私がプログラミングやシステムエンジニアで食っていくなど、当時は想像すらしません。ましてや“起業”するなど。

もし本連載を読んでいる学生の方がいらっしゃったら、なんであれ違う環境に飛び込んでみること、と忠告しておきたいです。

アルバイトも社会経験の一つです

SONY DSC

最後に糧となったこと。それはアルバイト経験です。

建前をいえば、大学生は学ぶことが本分です。アルバイトにうつつを抜かすなどもってのほか、という声があることも理解できます。その上であえて言います。社会経験としてアルバイトは必要だと思います。現在、せっかく新卒で入った会社を性に合わないとすぐやめてしまう方が多いといいます。ま、私もあまり人のことはいえませんが。そんな私があえて言うとすれば、大学時代になるべく大変なアルバイトを、しかもいろんな職種を経験しておくべきだと思うのです。そうすれば社会人になってもある程度応用は効くはず。ま、それは入った会社によってまちまちなのは承知の上ですけどね。

私自身のアルバイト経験ですが、高校の頃は甲子園球場の売り子、年末年始の年賀状配達ぐらいでした。大学に入ってからはダイエー塚口店で日配食品売り場の整理。プランタン甲子園店で自転車整理。プランタン甲子園店の電機売り場でワープロの販売員。そして、都ホテル甲子園を拠点とした配膳スタッフを順にこなしました。特に最後の2つは後年の起業を語る上で欠かせません。

ワープロの販売などやったこともない中で、自転車整理から電機売り場にスカウトされまして。もちろん、販売ノウハウなどあるわけありません。私はカシオ計算機の販売スタッフとして、カシオのワープロを売っていました。当時のワープロ市場でもカシオ社製はメジャーではありませんでした。ただ、上に書いた通り中学のころからワープロには親しんでいた私。販売員として店頭に立ちながら、自分なりに工夫して売っていたのです。そして私のセールストークで何台も売り上げることもできました。これは自信になりましたね。商談して提案して販売する快感を得たのはこの時だったと思います。実際、カシオ社からは辞める際に引き留められたくらいなので。

また、最後の配膳スタッフは大学3、4回生の2年間を捧げました。
配膳スタッフとは、結婚式の料理を配膳するホールスタッフと思ってもらえればよいです。これがまた大変なお仕事。表向きの優雅な給仕とは違い、裏側は体育会系の怒号乱れる現場なのです。時間単価は高かったので大学卒業まで勤め上げましたが、よくぞ自分でも続けたものだと思います。もちろん私は、落ちこぼれの配膳スタッフだったと思います。ミスもヘマも何度もしでかしましたし。

こういうチームワークや協力関係が求められる現場は、私はとても向いていないと思いました。自分の仕事のやりかたや向き不向きを知ったことだけでもとてもよい経験だったと思います。ワープロ販売員と配膳スタッフの経験は、私に社会に出る前に自分の素養を教えてくれました。とても得難い経験です。アルバイト関係の交流は、ダイエー塚口店のアルバイト仲間との交流を除いて、いまや消滅してしまいました。残念です。

もし本連載を読んでいる学生の方がいらっしゃったら、社会経験を積め、と忠告しておきたいです。

大学時代のまとめ

growth-1140534_640

大きく4つ、大学時代の私を振り返ってみました。
こうやって書いていても、当時の私からは、“起業”して社会に活躍するイメージがまったくわいてきません。自分のことなのに。いや、当時は当時なりに頑張って生きていたのでしょう。

でも、よくぞ起業まで持ち込んだと思います。キャンバスライフを3つにステレオタイプに分けてみます。体育会系で上下関係を叩き込まれる、サークルでぶいぶい言わせる、学術に没頭して学問の世界にのめりこむ。私のキャンバスライフは3つのどれとも当てはまりません。

でも、当時こそまったく気づいていなかったのですが、いまから思えば“起業”するための素養は大学のキャンバスライフで養われていたのですね。起業には直接関係ないので触れませんでしたが、他にも大学生活ではいまから考えると貴重な経験を積ませていただきました。本当にかかわった皆さまには感謝です。遊んでばかりいたように思っていましたが、人生で過ごす時間に無駄なものは一つもない、と逆説を言っておきたいです。

次回は漂流を始めた私の日々を書きます。

この記事を書いた人

長井さんプロフィール画像
アクアビット長井

合同会社アクアビットの代表社員としてIT業界におります。kintoneエバンジェリストでもあります。独学の人生です。 旅行、読書、スポーツ、酒、音楽・映画、その他趣味嗜好は広く浅く持っています。
【URL】 http://www.akvabit.jp
【Facebook】
        個人 https://www.facebook.com/YoshikazuNagai.akv
        法人 https://www.facebook.com/akvabit
【Twitter】
        個人 https://twitter.com/akvabit
        法人 https://twitter.com/akvabit_llc

関連記事もご覧ください